2026年6月に開催された第122回日本精神神経学会学術総会のオンライン視聴期間なので、時間を見つけて少しずつ講演を視聴しています。
その中で、今回は一つご紹介したいと思います。
「社会に発信する精神科診断はいかにあるべきか」というシンポジウムです。
発達障害の過剰診断、依存と依存症の違い、適応障害の診断書の問題などが扱われていました。
学問は、意外と歯切れが悪い
精神医学に限らず、学問というものは、案外すっきりしないものです。
医学部の授業を思い出しても、面白おかしく、歯切れよく説明できることばかりではありません。
「これはこういうものです」と簡単に割り切れるものなら、そもそも研究する必要もあまりありません。
実際には、一つの事実にもいくつもの側面があります。
ある場合には当てはまるけれど、別の場合には当てはまらない。
こちらから見るとこう見えるけれど、別の角度から見ると違って見える。
そういう割り切れなさを含めて考えるのが、学問なのだと思います。
ところが、メディア、特にソーシャルメディアでは、極端で歯切れのよい表現ほど注目を集めやすい傾向があります。
「○○はこうだ」
「○○の人はこういう特徴がある」
「これは病気である」
といった言い切りのほうが、複雑な説明よりも伝わりやすく、再生回数も伸びやすい。
そのため、本来はいくつもの側面を持っている問題が、一つの側面だけを切り取られて発信されることがあります。
精神科診断も、完全なものではない
今回のシンポジウムで興味深かったのは、そうした「社会における精神医学用語の乱用」だけが問題にされていたわけではないことです。
そもそも、精神科の診断そのものにも、矛盾や過剰診断の種が含まれていることが指摘されていました。
精神科の診断は、自然界に存在するものをそのまま発見して名前をつけたものとは、少し性質が違います。
ある時代の社会や文化の中で、こういう状態をこのように捉えよう、という合意の上に成り立っている部分があります。
ですから、診断名が存在するからといって、それが絶対的な「事実」だとは限りません。
シンポジストの一人からは、「神経症」という言葉が使われなくなったことで、現在の「適応障害」という言葉が、その代わりのように誤用されているのではないか、という意見も出されていました。
こうした話を聞くと、精神科の診断というものについても、私たちは少し距離を置いて考える必要があるのだと思います。
診断名に当てはめない臨床
このシンポジウムを視聴して、私が行っている臨床にも一定の意味があるのではないかと感じました。
仁泉堂では、流行している精神医学用語にその人を当てはめるのではなく、一人ひとりの体験を見ながら、神経症の治療を行っています。
診断名をつけることよりも、目の前で実際に起きていることを見る。
その人が何を感じ、何を考え、どのように生活しているのかを、一緒に見ていく。
そういう臨床です。
ただし、だからといって、私の臨床が「正しい」ということではありません。
診断や症状名が不完全なものであることを知った上で、それを一つの道具として活用している精神科医もたくさんいます。
診断名を使うことが問題なのではなく、診断名を現実そのものだと思ってしまうことに問題があるのだと思います。
診断が重要な領域もあります
そして、もう一つ付け加えておきたいことがあります。
統合失調症、双極症、重症のうつ病など、古い概念で言えば精神病にあたる状態では、診断は重要です。
適切な診断に基づいて治療方針を考え、必要な場合には薬物療法を行うことも大切です。
「精神科診断には限界がある」ということと、「精神科診断は必要ない」ということは、まったく別の話です。
診断には限界がある。
しかし、その限界を知った上で使えば、診断は有用な道具にもなります。
今回のシンポジウムを視聴して、精神医学について社会に発信する際にも、こうした「割り切れなさ」をそのまま伝えることが大切なのではないかと思いました。
歯切れの悪い話かもしれません。
でも、人間についての話なのですから、それくらいでちょうどよいのかもしれません。

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