森田療法

仁泉堂医院

イベント情報の発信について

これまで当院では、屋外清掃セラピーや森田療法の勉強会、将棋大会など、さまざまなイベントを企画してきました。こうした取り組みを通じて感じているのは、「通院中かどうか」に関わらず、つながりを持ち続けたいというニーズがあるということです。実際に、...
仁泉堂医院

症状ではなく、生活を見る

「診断しない」という考え方私はときどき、「診断しない」という言葉を使うことがあります。ここで言う診断とは、症状の組み合わせによって分類される診断のことです。精神医学では、たとえば DSMや ICDといった基準がよく用いられます。これらは本来...
森田療法

待つ力

人は、想定外の出来事が起きたとき、なんとかして「想定通りの状況」に戻そうとして、ついジタバタしてしまいます。しかし実際には、こちらが想定していたほうが不自然で、想定外に起きたことのほうが、むしろ自然な流れであることも少なくありません。そのよ...
文学・芸術

本が私を呼んでいた日 ー 水木しげると「自然に任せる」ということ

先週の金曜日、私は高崎駅の構内に立っていました。14時14分発、湘南新宿ライン特別快速小田原行き。発車まであと12分。新宿まで約2時間。「何か本でも読もうか」そう思い、足は自然とくまざわ書店へ向かいました。滞在できるのはせいぜい5〜6分。直...
仁泉堂医院

仁泉堂ブログ「あるがままを生きる」300回を迎えて

仁泉堂ブログ「あるがままを生きる」は、このたび300回を迎えました。ここまで読んでくださった皆さまに、心から感謝いたします。2024年7月 ― あり方を改める決断2024年7月。それまでの数えきれない臨床体験の積み重ねの中で、私は仁泉堂のあ...
文学・芸術

「あるがままとするほかない」態度 — 鬼太郎と森田療法

水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』で、鬼太郎は幽霊族の末裔として、この世とあの世、人間と妖怪のあいだを行き来する存在として描かれています。物語の中で、人間は自分たちに都合のよい振る舞いを重ね、妖怪の世界に踏み込み、やがてしっぺ返しを受けます。妖...
仁泉堂医院

「場を整えるという仕事 」 — では何をしているのか

前回、仁泉堂では、医師が患者さんに薬や診断、考えの方向性を与えない、という話を書きました。では、何も与えないのだとしたら、ここではいったい何をしているのでしょうか。私は、自分の役割を「場の管理者」だと考えています。人生が「選択する行為」だと...
仁泉堂医院

「施さない医療という選択」— なぜ与えないか

私は、森田療法を「医師が患者さんに施す治療」だとは考えていません。森田療法は、誰かに何かをしてもらうことで良くなっていくものではなく、本来は、自分自身に向けて行われるものだと思っています。私自身、日々の生活や仕事の中で、不安や違和感を抱えな...
仁泉堂医院

選ぶ行為そのものが、人生である

私たちはつい、「選んだ結果」で人生を振り返ろうとします。あの進路を選んだから今がある、あの決断が成功だった、失敗だった――人生を一つの物語として整理しようとする見方です。けれど最近、私はこう考えるようになりました。人生とは、選んだ結果ではな...
森田療法

「好きではない」と言ってみる

感情・感覚に沿って言葉を選ぶこれまで私は、「よい・悪い」よりも「好き・嫌い」を大切にしよう、ということを書いてきました。ただ、「好き」「嫌い」という言葉は、ときに強く響きすぎることもあります。英語でも、I hate it. よりもI don...
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