多くの心理療法・精神療法では、その人のこれまでの体験を語ることが大切にされます。
「これまで、どんなことがあったのか」
「そのとき、何を感じたのか」
「それによって、どんな考え方をするようになったのか」
そうしたことを言葉にして、自分自身の物語を整理していく。
それは、それぞれの心理療法において大切な意味を持っていると思います。
一方で、森田療法について考えるとき、私は、必ずしも自分自身の物語を完成させる必要はないのではないかと思っています。
どのような過去があったとしても。
どのような考え方をしてきたとしても。
これまで、どのような行動のパターンを繰り返してきたとしても。
今ここから、新しい体験を始めることができる。
それが森田療法の大きな特徴なのではないでしょうか。
もちろん、神経症的な悩みを抱えているときには、これまでの体験から作られた自分なりの考え方や行動のパターンが、とても強固になっていることがあります。
「こうしなければならない」
「こうなったら困る」
「自分はこういう人間だから」
そうした考えに従って行動することで、同じような体験を繰り返し、いつの間にか、そのパターンから抜け出しにくくなってしまう。
その悪循環を変えるために、別の見方を提示することがあります。
ブリーフセラピーでいうリフレーミングに近いような関わりも、その一つでしょう。
ただ、私は、森田療法の真骨頂は、そうした「技法」そのものにあるのではないと思っています。
見方が変わったことをきっかけとして、実際の生活の中で新しい体験が始まる。
そして、その体験が積み重なっていく。
その体験的事実を基盤にして、また次の状況の中で、新たな体験をしていく。
ここに森田療法の核心があるのではないでしょうか。
私たちが苦しみ続けたり、悩み続けたりするとき、つい「これまでの体験」の中から答えを探そうとします。
「前にもこうだった」
「自分はいつもこうなる」
「これまでうまくいかなかったから、きっと今回も……」
しかし、私たちがこれまでに体験してきたことには限りがあります。
一方で、まだ体験していないことは、これから先、無数にあります。
考えてみれば、私たちがまだ体験していないことのほうが、これまで体験したことより、はるかに多いのです。
それなのに、過去の体験だけを材料にして、未来の答えを決めようとする。
そこに、悩み続けることの苦しさがあるのかもしれません。
必要なのは、過去から答えを探し続けることではなく、まだ体験していないことの中に、次の答えを探しにいくことなのではないでしょうか。
「自分はどういう人間なのか」を考え続けるのではなく、
「これから、何を体験することになるのだろう」
と、目の前の生活に向かっていく。
その先には、まだ体験していないことが無限に残されています。
そして、その一つひとつが、次の「体験的事実」になっていく。
森田療法の「あるがまま」とは、過去の自分を受け入れて、その物語の中に生き続けることではない。
むしろ、過去を過去としてそのままにして、今ここから、新しい体験の中へ歩み出していくことなのではないか。
私は、そんなふうに考えています。

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