身体が楽器になるとき

日常

昨日、久しぶりにトランペットを吹きました。時間にして15分ほどでしょうか。

最近では、トランペットに触れるのも年に数回程度になってしまいましたが、学生時代にはラグビーと並んで、夢中になっていたものの一つです。

当時は「世界おんがくの旅研究会」というトラディショナルジャズのバンドと、「FBO」というビッグバンドで演奏していました。

久しぶりにトランペットを吹くと、いつも感じることがあります。それは、楽器と身体が一体になるような心地よさです。

金管楽器の場合、音を生み出す空気の振動は唇によって作られます。しかし、音をコントロールするのは、単純に唇の動きだけではありません。呼気の圧力や、口の中で顎や舌の位置を変えることで作られる空間の広さなど、いくつもの要素が関係しています。

これらは、ある程度意識的に調整することができます。一方で、楽器の抵抗と呼気の間に生まれる絶妙なバランスは、むしろ無意識のうちに調整されているように感じます。

意外に難しいのは、唇や喉の柔軟性を保つことです。

初めて楽器を吹こうとすると、口の中の広さを変えようとしたときに唇まで緊張してしまったり、呼気を強くしようとすると喉に力が入ってしまったりします。そのため、なかなか思うように音が出ません。

ところが、練習を重ねていくうちに、少しずつ力の使い方が身についてきます。

そうなってくると、不思議な感覚が生まれます。楽器を操作しているというよりも、身体そのものが楽器になったような感覚です。

心地よく吹けているときには、身体と楽器が一体となって音を奏でています。

考えてみれば、これはトランペットに限ったことではないのかもしれません。

どんな楽器でも、あるいは日常で使うさまざまな道具でも、使い慣れていくうちに、身体の一部のようになっていくことがあります。

初めのうちは、道具の使い方を一つひとつ意識しなければなりません。しかし、慣れてくると、道具をどう動かすかをいちいち考えることなく、目の前のことに自然に応じられるようになります。

ただ、私にとっては、トランペットのような金管楽器が、その一体感を最も強く感じさせてくれるように思います。

久しぶりに吹いた15分間。改めて、身体と楽器が一緒になって音を生み出す心地よさを味わいました。

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