世の中では、「自己肯定感」という言葉をよく耳にします。
自己肯定感が低いことはよくないことであり、自己肯定感を高めることが大切だと語られることも少なくありません。
しかし、私はこうした考え方が、かえって苦しさや人との諍いを生み出すこともあるのではないかと感じています。
自分も相手も、大した人間ではない
「自分も、周りの多くの人と同じように、大した人間ではない」
そんなふうに思っている方が、案外、平和に暮らせるのではないでしょうか。
自分が失敗しても、必要以上に落ち込むことはありません。誰かの行いによって多少の損害を被ったとしても、いつまでも腹を立て続ける必要はないでしょう。
もちろん、困ることは困りますし、腹が立つこともあります。ただ、人間は誰でも、いつもうまくできるわけではありません。しばしば間違いもしますし、誰かに迷惑をかけることもあります。
自分も相手も、そうした不完全さを持つ人間なのです。
ところが、「自分はもっと立派な人間であるはずだ」「周りの人も、こうあるべきだ」と考えると、どうでしょうか。
自分の失敗にひどく落胆したり、相手の不手際に強い怒りを感じたりすることが増えるかもしれません。自分や他人に期待する姿と、目の前の現実との間に、大きな隔たりが生まれるからです。
だからといって、自分を卑下する必要もない
もちろん、自分を過小評価したり、卑屈になったりする必要はありません。
私はうまくできることもあれば、失敗することもあります。一生懸命に取り組むときもあれば、怠けてしまうときもあります。
調子のよいときもあれば、思うようにいかないときもあります。
たいてい、人間なんてそんなものではないでしょうか。
いつも立派でなくてもいいし、いつも正しくなくてもいい。だからといって、自分をダメな人間だと決めつける必要もありません。
うまくできたときには、その事実がある。失敗したときには、失敗したという事実がある。
そこに「だから自分は素晴らしい人間だ」とか、「だから自分には価値がない」といった評価を付け加えなくても、目の前で起きたことは変わりません。
人間を評価することから離れてみる
そもそも、人間を評価の対象にすること自体に、少し無理があるのではないでしょうか。
私も、目の前にいるあなたも、何かの基準に照らして評価されるために、ここにいるわけではありません。
自分を評価することにも、他人を評価することにも、私たちはずいぶん慣れています。しかし、自分には自分を評価し、他人を評価する特別な権利があるのでしょうか。
自分のことを肯定的に評価するのも、否定的に評価するのも、評価という点では同じです。
「自分は素晴らしい人間だ」と考えることと、「自分はダメな人間だ」と考えること。両者は正反対のようでいて、どちらも自分を一定の基準で判断しようとしている点では共通しています。
他人についても同じです。立派な人だと褒めることも、ダメな人だと批判することも、その人を何らかの基準で評価する行為です。
もちろん、目の前の行動が適切かどうかを考えたり、必要な対応をしたりすることは大切です。しかし、ある行動について判断することと、その人自身に評価を下すことは、分けて考えられるのではないでしょうか。
肯定も否定もせず、目の前の現実に応じる
自分を肯定しようと頑張る必要もなければ、自分を否定して落ち込む必要もない。
相手を肯定的に評価することにこだわる必要もなければ、否定的に評価して腹を立て続ける必要もない。
自分も他人も評価の対象にせず、今、この場で起きていることや、それぞれのあり方を、そのまま受け取ってみる。
そして、目の前の現実に応じて、必要なことをしていく。
私は、そのようなあり方が、いちばん平和なのではないかと思っています。
自己肯定感を高めることを目標にするのではなく、自分を肯定することも否定することも、いったん脇に置いてみる。
人間は、立派なところもあれば、そうでないところもあります。自分も相手も、そのときどきの現実の中で、さまざまな姿を見せるものです。
その一つひとつに評価を下すことなく、目の前の現実と付き合っていく。
そんな暮らし方の中にこそ、私たちが求めている平和があるのかもしれません。

コメント