ある男性から、こんな相談を受けたことがあります。
「書類の保管の仕方について、部下の手順が間違っているのです。何度説明しても、やり方が修正されません。これは私の説明が悪いのでしょうか。それとも、部下に理解する能力がないのでしょうか?」
まずは、実際にどのような出来事が起きているのか、どんなやり取りをしているのか、詳しく話を聞きます。
しかし、どれだけ詳しく話を聞いたとしても、この問いに対する私の答えは、次のようなものになります。
「あなたの説明の仕方の問題でも、部下の理解力の問題でもあると考えてもよいし、あなたの説明の仕方の問題でも、部下の理解力の問題でもないと考えてもよいと思います」
この答えは、曖昧なことを言っているように聞こえるかもしれません。しかし、私には、どちらか一方を選ぶこと自体に、少し無理があるように思えるのです。
そもそも、この問いは、問題の原因が、あなたか部下のどちらかにあることを前提にしています。
けれども、本当にそうなのでしょうか。
たとえば、この男性が、部下とのコミュニケーションの仕方に問題があると考えているのであれば、男性の説明の仕方にも、部下の理解の仕方にも、原因を見いだすことができるでしょう。
一方で、そもそも「書類の保管の仕方」について、二人の間で解釈がずれていることに目を向けたらどうでしょうか。
男性にとっては当たり前の手順でも、部下にとっては、そうではないのかもしれません。あるいは、二人が同じ言葉を使いながら、異なることを思い浮かべているのかもしれません。
そう考えると、問題は男性の説明の仕方にも、部下の理解力にもあるとは限りません。二人がやり取りをしている場面そのものに、目を向けることもできます。
もちろん、どのような見方をするかによって、次に試してみることも変わってきます。
男性が説明の仕方を工夫することもできるでしょう。部下に実際の手順を見せてもらい、どこで認識がずれているのかを確かめることもできるでしょう。あるいは、二人で保管方法そのものを見直すことになるかもしれません。
どれが正しい原因の見つけ方なのかを、あらかじめ決めておく必要はないのです。
私たちは、何か問題が生じると、その原因を明らかにしようとします。そして、原因がわかれば、問題を解決できると考えます。
しかし、人間が関わる問題では、原因をひとつに特定することは難しいものです。
何を問題として捉えるかによって、原因の見え方も変わります。個人の能力や行動に注目することもできれば、人と人との関係や、問題が生じている場面そのものに注目することもできます。
心理療法の場でも、同じことがいえます。
誰の考え方に問題があるのか。何が原因で、このような状態になったのか。
そうした問いを持つことは、決して無意味ではありません。しかし、原因を特定することにこだわりすぎると、かえって、目の前で起きていることの別の側面が見えなくなってしまうことがあります。
原因をひとつに決めることよりも、今、何が起きているのかを眺めてみる。そして、見方を変えながら、そこから何ができるのかを考えてみる。
人間が関わる問題については、原因を特定することよりも、そのような姿勢が大切なのではないかと思っています。

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