第43回森田療法学会を終えて

森田療法

第43回森田療法学会が終わりました。

今回は、これまで私自身の臨床感覚に大きな影響を与えてくれた「森田の家」や「瞑想箱庭療法」に関する演題がなく、個人的には少し物足りなさも感じました。

その中で、今回もっとも印象に残ったのが、南昌廣先生によるAction-Based Psychosocial Reconciliation Approach(ABPRA)に関する発表でした。

ABPRAは、加害者と被害者が共に作業をする活動を通して、どのような治癒的な変化が生じるのか、その作用機序を明らかにしようとするものです。

今回の発表では、その活動について、解釈学的現象学的分析という方法を用いて、参加者へのインタビューを一つひとつ丁寧に分析していました。そして、その地道な作業の結果として見えてきたものを、図にして示してくれました。

興味深かったのは、その解釈の中でトラウマ理論が用いられていたことです。

ジェノサイドという出来事を扱うアプローチですから、そこに生じる体験を理解するために、トラウマという概念を用いることには十分な意味があります。

しかし、発表を聞いていると、トラウマという概念で説明できることは、全体の一部に過ぎないことも感じました。

もちろん、トラウマ理論は有効な見方の一つです。しかし、一つの概念ですべてを説明できるわけではありません。他の視点から分析する余地も大きく、また、一人ひとりの体験にはかなりの個別性があることも伝わってきました。

このことは、私自身の臨床について考えるきっかけにもなりました。

私は、トラウマ理論、ストレス学説、愛着理論など、既成の心理学的概念をそのまま当てはめないことを、セラピーの一つのモットーにしています。

もちろん、研究を行うためには、ある程度共通した概念を用いて現象を整理することが必要です。診断概念や心理学的な解釈概念も、研究や情報共有のためには重要な役割を持っています。

一方で、目の前にいる一人の人の体験を扱うセラピーでは、それらの概念から少し距離を置いたほうがよいのではないかと思っています。

私自身、これまでの臨床の中で、治療者がある既成の概念にとらわれることで、目の前で起きていることが見えにくくなり、その人の回復をかえって遅らせてしまうことを体験してきました。

「この人はトラウマを抱えている」
「これは愛着の問題だ」
「これはストレスによるものだ」

そうした説明が間違っているとは限りません。

ただ、その説明が見つかったことで、目の前の人を分かったつもりになってしまうことがあります。

森田療法の「事実唯真」という言葉を、私はこうした場面でも大切にしたいと思っています。

概念よりも、まず目の前で起きていることを見る。

一つの見方に決めつけず、別の可能性も残しておく。

そして、その人との関わりの中で、実際に何が起きているのかを一緒に体験していく。

特定の概念にとらわれないことは、森田療法の大きな特徴の一つではないでしょうか。

今回の学会は、森田療法について新しい知識を得るというだけではなく、私自身がセラピストとして、どのような姿勢で目の前の人と向き合うのかを、あらためて考える機会になりました。

事実唯真、自然服従、両面観。

そして、既成の枠組みに体験を当てはめるのではなく、そこから新しい体験の可能性を広げていくこと。

これらを大切にしながら、これからも臨床を続けていきたいと思います。

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