森田療法の言葉に、とらわれない

森田療法

森田療法には、印象的な言葉がたくさんあります。

「あるがまま」
「目的本位」
「生の欲望」
「恐怖突入」
「純な心」

どれも森田療法を理解するうえで大切な言葉です。

しかし、森田療法について考えたり、実践したりしているうちに、私は最近、森田療法の言葉そのものにとらわれすぎないことも大切なのではないかと思うようになりました。

言葉が新しい「こうあるべき」になるとき

たとえば「目的本位」という言葉があります。

症状や気分ばかりを問題にするのではなく、目の前の目的や必要なことに目を向ける。これは森田療法の大切な考え方です。

しかし、この言葉を強く意識しすぎると、

「もっと目的本位にならなければならない」
「気分本位になってはいけない」

という新しい「こうあるべき」が生まれてしまうことがあります。

「生の欲望」も同じです。

「自分の本当の欲望を見つけなければ」
「もっと生きたいという欲望を感じなければ」

と思い始めると、今度は「生の欲望を探すこと」そのものが苦しみになることがあります。

「恐怖突入」も、恐怖を感じながら行動するという意味で重要な言葉ですが、

「怖くても突入しなければならない」

という義務になってしまえば、行動が不自然な練習になってしまうかもしれません。

森田療法の言葉は、本来、私たちを自由にするためのものだったはずです。

けれども言葉を握りしめすぎると、その言葉が新しいとらわれになることがあります。

私が上位に置いている三つの言葉

森田療法で用いられる言葉の中で、私が特に上位に置いているのは、

  • 事実唯真
  • 自然服従
  • 両面観

の三つです。

これらの言葉は、「こうしなさい」と具体的な行動を指示するものではありません。

むしろ、自分や世界をどのように見ていくかという、より根本的な態度を示しているように思います。

事実唯真

自分の考えや理屈、あるいは「こうなるはずだ」という予測よりも、まず起きている事実を見る。

不安があるなら、不安がある。

やりたくないなら、やりたくない。

それでも仕事をしたなら、仕事をした。

何かが変わったなら、変わった。

変わらなかったなら、変わらなかった。

そこに余計な意味をつける前に、まず事実を見る。

この態度は、「正しい自分」をつくろうとすることから、私たちを少し自由にしてくれます。

自然服従

自然服従という言葉も、「頑張らない」ということとは少し違うように思います。

頑張りたいときには頑張る。

休みたいときには休む。

不安になることもある。

変わろうとすることもある。

変わろうとして苦しくなることもある。

そうしたことまで含めて、無理に自分の思い通りにしようとしない。

自分を変えようとすることすら、自然に起きていることとして眺めてみる。

そのような態度が、自然服従なのではないでしょうか。

両面観

私が特に大切に感じているのが、両面観です。

人はつい、どちらか一方を正解にしたくなります。

恐怖は悪いものなのか、それとも良いものなのか。

休むべきなのか、頑張るべきなのか。

変わるべきなのか、そのままでよいのか。

しかし実際には、どちらにも一面の真実があります。

恐怖があるから慎重にもなれる。

恐怖があっても行動できる。

休むことも必要だが、休んでばかりではできないこともある。

変わろうとすることも自然であり、変わらないこともまた自然です。

一方だけを正解にしない。

そのことによって、森田療法の言葉さえも絶対化せずにすむのだと思います。

言葉よりも、体験を上位に置く

私は、森田療法において最終的に大切なのは、言葉ではなく体験ではないかと思っています。

「目的本位」という言葉が役に立つこともあります。

「恐怖突入」という言葉によって、一歩を踏み出せることもあります。

「生の欲望」という言葉によって、自分が本当に望んでいたものに気づくこともあります。

けれども、それらの言葉が役に立たないときまで、無理に使い続ける必要はありません。

まず体験がある。

その体験を見て、言葉を使う。

もし言葉が体験を狭め始めたら、その言葉をいったん脇に置いてみる。

私はそのほうが、森田療法の本来の姿に近いように感じています。

森田療法の言葉を理解しようとすることも大切です。

しかし、森田療法の言葉に従おうとしすぎないことも、同じくらい大切なのかもしれません。

言葉は、体験のあと。

言葉によって体験を理解することはできます。

しかし、言葉が先に立ち、体験をその言葉に合わせようとすると、いつの間にか世界は狭くなってしまいます。

事実を見て、自然に従い、一方だけを正解にしない。

私にとって「事実唯真」「自然服従」「両面観」という三つの言葉は、森田療法の他の言葉をも、必要に応じて自由に使い、そして手放すための土台なのだと思います。

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