DNFを決めようとした瞬間、気持ちが変わった

日常

10月11日、日本山岳耐久レース(通称・ハセツネCUP)に出走しました。

舞台は東京都の多摩地域。距離66km、累積標高差約4,500mという、登山の要素が特に強いトレイルランニングレースです。

多くのトレイルランニングレースには、途中で飲食物の提供を受けたり、屋内で休憩したりするエイドがあります。先日完走したHOTAKA138kmにも、7カ所のエイドがありました。

一方、ハセツネには、通常のエイドがありません。救護所は設置されていますが、そこで救護を受けた場合はリタイア扱いになります。必要な水分や補給食は、すべて自分で背負ってスタートするのが、このレースの特徴です。

私は水、スポーツドリンク、麦茶を合わせて4L背負い、13時にあきる野市立五日市中学校をスタートしました。

いつもとは違う疲労感

17時30分頃、日没の頃に、約20km地点の第一関門を通過しました。

そのあたりから、頭痛と、これまでのレースでは経験したことのない強い疲労を感じるようになりました。

「何かおかしい」
「電解質のバランスが悪いのだろうか」
「補給が足りないのか」
「オーバーペースだったのか」

いろいろな考えが頭をよぎります。

25kmほど進んだところで、迎えをお願いしていた家族に、「夜明け前には帰りそうにない」とメッセージを送りました。

疲労感を抱えながらも、とりあえず第二関門の月夜見山までは進もうと決めました。

コースの山場である三頭山を越えましたが、その後はしばらく走ることができず、歩いて進みます。そして22時30分頃、約40km地点の第二関門に到着しました。

目に入ったのは、DNFの受付テントでした。

日本では「リタイアする」という言葉がよく使われますが、トレイルランニングでは、完走できなかったことをDNF(Did Not Finish)と表現します。

このときの私の気持ちは、7〜8割方、DNFに傾いていました。

「これ以上進んでも、身体を傷めるだけかもしれない」
「今やめれば、徹夜しなくてすむ」
「布団で眠りたい」
「温かい食事がしたい」

もっともな理由はいくらでも思い浮かびます。

DNFを決めようとした、その瞬間

トレイルランニングを始めて以来、私は一度もDNFを経験していませんでした。

ふと、HOTAKA138kmのレース中、トイレを済ませたら不思議と眠気が少し改善したことを思い出しました。そこで、まずはトイレに行ってみました。さらに、フィジカルトレーナーに教わった足首のストレッチも試してみました。

しかし、それでも先へ進もうという気持ちにはなれませんでした。

私は携帯電話を取り出し、家族に「DNFを決めた」とメッセージを送ろうとしました。

ところが、入力を始めても、うまくメッセージを打つことができません。

その瞬間、気持ちが変わりました。

「やはり、進もう」

そう決めたのです。

その後は、途中の倒木などに腰をかけて何度も休みながら、少しずつ先へ進みました。

夜明けとともにフィニッシュ

最終関門、日の出山の山頂に着いたのは、午前3時45分頃でした。

遠くには、都心部の夜景が見えました。ここから先は、ほぼ下りです。歩いたり、走ったりしながら進んでいくと、木々の間から朝焼けが見え始めました。

そして午前5時45分、日の出とほぼ同時にフィニッシュしました。

これまでで、最も苦しいレースでした。

本気でDNFするつもりでした。それでも、完走することができました。

考えていることと、実際に言葉にすること

振り返ってみると、不思議な体験でした。

頭の中で考えていたとき、私は論理的にDNFを選ぼうとしていました。身体の状態を考えても、やめる理由は十分にありました。

ところが、実際に「DNFを決めた」とメッセージに書き込もうとした瞬間、気持ちが変わったのです。

頭の中で考えていることと、それを実際に言葉にして外に表現すること。その間には、思いがけない違いが生まれることがあります。

これは、セラピーの中でもしばしば用いられる方法です。

考えがまとまらないときや、決断に迷っているとき、頭の中だけで考え続けるのではなく、一度、言葉にして外に表現してみる。話してみる、書いてみる。そうすることで、自分でも気づいていなかった気持ちが見えてきたり、次の行動が変わったりすることがあります。

もちろん、言葉にしたからといって、必ずしも気持ちが変わるわけではありません。また、コースを進むことがいつも正しいとも限りません。身体の危険を感じたときには、予定を変更することも大切です。

それでも今回の体験を通して、頭の中で考え続けることと、実際に何かをしてみることの違いを、改めて実感しました。

苦しんだからこそ、感じられる幸せ

家に帰り、温かい食事をとりました。そして、布団で眠りました。

いつもなら当たり前に感じていることが、格別にありがたく思えました。

温かい食事ができること。安心して眠れること。

普段は当たり前になっていることも、それが当たり前ではない時間を経験すると、違ったものとして感じられます。

幸せを感じる方法のひとつは、苦しむ時間を持つことなのかもしれないなあ。

そんなことを思いながら、目を閉じました。

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