目の前で起きていることを、そのまま感じる。そして、その体験に沿って自然に動いていく。
それが、森田療法を身につけた先にある姿の一つなのだと思います。
当たり前のことのようですが、これが案外難しい。
なぜなら、私たち人間は、物事をカテゴリー化するからです。
「この出来事は、以前のあの出来事と同じようなものだ」
そんなふうに、目の前の出来事を、これまでの経験と照らし合わせて捉えようとします。
カテゴリー化には、もちろん便利な面があります。
目の前には、無数の出来事や感情が生まれています。それらを限られた数の言葉に置き換えていくことも、カテゴリー化の一つでしょう。
「うれしい」「悲しい」「不安」「怒り」など、言葉によって私たちは、自分の体験を誰かと共有することができます。
一方で、カテゴリー化によって、目の前の体験から離れてしまうことがあります。
たとえば、
「以前、会議に出て嫌な思いをした。だから、次の会議でもきっと嫌な思いをするだろう」
「以前、電車の中で倒れそうになった。だから、また倒れるのではないか」
というように。
今、目の前で起きていることではなく、「以前の出来事と同じようになるのではないか」という考えが、先に出てくるのです。
これは、症状名や診断名についても同じようなことが起こり得ます。
たとえば、「全般不安症」という言葉を知り、その症状の一部が自分に当てはまることに気づく。
すると、それまでは単に「最近、不安になることが多い」と感じていたものが、「自分は全般不安症なのではないか」と捉えられるようになる。
さらに、その言葉を手がかりにして、ほかの項目も自分に当てはまるのではないかと意識するようになる。
こうして、もともとは一つ一つの具体的な体験だったものが、一つのカテゴリーの中にまとめられていくことがあります。
もちろん、症状名や診断名には、それを必要とする人を支える大切な役割があります。
問題なのは、カテゴリーそのものではありません。
カテゴリーを通して自分を見ることによって、目の前の体験そのものが見えにくくなってしまうことです。
では、目の前の体験を、そのまま感じ、自然に動いていくためには、どうすればよいのでしょうか。
一つは、すぐにカテゴリーに当てはめないことです。
「これは○○という症状だ」
「以前のあれと同じだ」
「自分はこういう人間だから」
と決める前に、今、自分の中で起きていることを、そのまま感じてみる。
必要であれば、「胸がざわざわする」「なんとなく落ち着かない」「体が重い」といった、ごく一般的な言葉や喩えで表してみる。
あるいは、言葉にしなくてもいいのかもしれません。
メロディーにしてみる。
絵に描いてみる。
身体を動かしてみる。
そうして表されたものは、診断名や症状名ほど明確ではありません。
けれども、だからこそ、目の前の体験から離れずにいられることがあります。
森田療法では、「あるがまま」という言葉が大切にされます。
それは、自分の状態を正確に分類することでも、自分の心を完全に理解することでもないのでしょう。
今、目の前にある体験を、余計な枠にはめずに感じる。
そして、その体験の中から自然に生まれてくる行動に移っていく。
その積み重ねの中で、いつの間にか「こういうものだ」と決めつけていた自分の枠からも、少しずつ自由になっていく。
目の前の体験は、過去の体験と似ているように見えても、まったく同じではありません。
今日の不安は、昨日の不安とは違う。
今日の会議も、以前の会議とは違う。
その一回一回の体験を、その都度感じていく。
そこに、森田療法の「あるがまま」の一つの姿があるのではないかと思います。

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