ある方から、こんな質問を受けたことがあります。
「トレイルランニングって、達成感があるのですか?」
そう尋ねられて、改めて振り返ってみました。
確かに、長いレースを完走すれば嬉しい気持ちはあります。しかし、フィニッシュした瞬間に最も強く感じるのは、喜びや達成感というより、「ようやく終わった」という安堵です。
では、私は何を求めて山を走っているのでしょうか。
考えてみると、私が惹かれているのは、暗闇や痛み、疲労、息苦しさを感じながら、それでも一歩ずつ前へ進んでいる時間そのものです。
怖い。
痛い。
苦しい。
そんな感覚がありながらも、ただ前へ進み続ける。そのとき、不思議なことに、「ただ、ある」としか表現できない感覚が訪れます。
この感覚は、穏やかな日常生活の中ではなかなか味わえません。また、仕事や人間関係のトラブルに追われ、解決のために頭を働かせているときにも得られないものです。
もちろん、トレイルランニングは危険を伴うスポーツです。しかし、コースが定められ、多くの人に支えられながら、「この道を進めば必ずゴールに着く」という一定の安心感があります。その土台があるからこそ、私は特別な意味を求めることなく、ただ怖くて、痛くて、苦しい時間の中に身を置いているのかもしれません。
山を走ることは、昔から修行の一つとして行われてきました。滝に打たれること、坐禅を組み続けることと同じように、あえて困難な状況に身を置き、その中で自分と向き合う営みです。
私にとってトレイルランニングも、それに近いものなのだと思います。
ゴールの達成感を得るためではありません。
日常生活や社会の中では出会うことのできない、「ただ、ある」という感覚に触れるために、私は山へ向かっているのです。

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