私たちの「こころ」には、実は明確な境界がありません。
例えば、親しい友人が悲しんでいると、自分自身も悲しい気持ちになります。また、ある場所で暴力事件が起これば、その場全体に恐怖や緊張感が広がります。私たちの感情や気分は、常に周囲の人や環境から影響を受けています。
価値観についても同じことが言えます。自分の考えは自分だけのものと思いがちですが、実際には日本の文化や家庭環境、学校教育、そしてこれまで出会った先生や友人たちの影響を受けながら形づくられています。どこまでが他者から学んだもので、どこからが自分独自の考えなのかを明確に区別することは容易ではありません。
このように考えると、思考や感情だけを基準にして「自分とは何か」を定義することは案外難しいものです。こころは常に他者や環境との関係の中で揺れ動いているからです。
一方で、身体には比較的はっきりとした境界があります。もちろん、人間は腸内細菌と共生し、食事を通して自然や他の生物とつながっています。また、人と人が触れ合うことで交流も生まれます。しかし、身体は皮膚や粘膜によって包まれ、物理的には明確な境界を持っています。
では、「自分らしく生きる」とは何を基準にすればよいのでしょうか。
もし思考や感情だけを基準にすると、それらは周囲から影響を受け続けるため、「これが本当の自分だ」と言い切ることは難しくなります。
むしろ、自分の身体が何を感じ、どのように動き、どのような体験を積み重ねていくのか。その身体的な実感の中から生まれてくるものこそが、自分らしさの大切な手がかりになるのではないでしょうか。
森田療法が、理解や分析よりも行動や体験を重視するのも、このためだと思います。頭の中で答えを探し続けるのではなく、まず現実の生活の中で身体を動かしてみる。その体験の積み重ねの中で、自分なりの生き方や価値観が少しずつ形づくられていくのです。
やりたいことも、頭の中を探して見つかるものとは限りません。むしろ、日々の行動の中から自然に芽生えてくることが少なくありません。
花に水をあげる。玄関の靴をそろえる。折り鶴を一羽折る。そんな小さな行動を、意味や価値を考えすぎずにやってみる。すると、その行動の先に新たな興味や関心が生まれ、次にやりたいことが見えてくることがあります。
行動が先にあり、そのあとから気持ちや意欲が育ってくる。
森田療法は、そのような人間の自然な成長の過程を大切にしているように思います。

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