人間の行動は、迷いの中で決められています。
例えば、トレイルランニングの練習で山へ行く予定を立てていた日に雨が降ったとします。予定通り行くか、それとも中止するか。その判断には、次のレースの日程、現在の体調、仕事の都合、振り替えられる日があるかどうかなど、実にさまざまな要素が影響しています。
私たちは何かを決める時、自分で意識している理由だけでなく、意識できていない多くの要素にも影響を受けています。
だからこそ、「なぜ練習を中止したのですか?」と聞かれても、実は正確に答えるのは簡単ではありません。
「雨が降っていたから」と説明することはできます。しかし、本当にそれだけだったのでしょうか。体調が万全ではなかったのかもしれませんし、翌日の予定を考慮していたのかもしれません。
物事を丁寧に考える人ほど、「これが理由です」と言い切れなくなるものです。
私は日頃から、人間の行動の選択に対して、必要以上に理由を追求しないよう心がけています。
そう考えると、遅刻をした時に無理に言い訳を探す必要もありませんし、長々と反省文を書く必要もありません。
もちろん、「理由を考えなければ、同じ失敗を繰り返すのではないか」と思う方もいるでしょう。
しかし、失敗を振り返る際に本当に大切なのは、完璧な原因究明ではありません。自分が気づいた要因の中で、次に変えられることがあるなら変えてみる。それで十分だと思います。
それでも、人間ですから失敗するときは失敗します。
一方で、私はすべての失敗を無条件に許すべきだとも考えていません。
ただし、許すか許さないかを決めるのは、その人が語る「理由」ではありません。
人生には、それぞれの立場や責任があります。ある場面では許容できることが、別の場面では許容できないこともあります。
私たちはしばしば、「なぜそうしたのか」という理由に注目します。しかし現実には、理由よりも、その行動がどのような結果を生み、これからどう向き合うかの方が重要なことも少なくありません。
理由を探して立ち止まるより、現実の中で次の一歩を考える。
その姿勢の方が、人間らしく自然な生き方に近いように思います。

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