「あの人が悪い」「職場が合わない」の前に

森田療法

人は、ひとつの性格だけでできているわけではありません。

人に気を遣ってしまう人の中にも、「本当は自分の思いを通したい」という気持ちがあります。
真面目で働き者の人の中にも、「今日は休みたい」「怠けたい」という願望があります。

どちらか一方だけが存在するのではなく、相反するものが同時に存在している。
それが、人間の自然な姿なのだと思います。

そして、生きづらさが少し軽くなるのは、その両方を「自分のもの」として抱えられるようになった時なのかもしれません。

苦しみが強くなる時、人は自分の中にある「好ましくない部分」を、自分の外へ追い出したくなります。

「あの人は配慮がない」
「怠ける人は許せない」
「この職場の空気が悪い」

そんなふうに、他者や環境の問題として感じることもあります。

あるいは、

「うつだからできない」
「発達障害だから仕方がない」

というように、診断名に自分の苦しみを預けたくなることもあります。

もちろん、環境の影響や病気の苦しさは実際に存在します。
ただ、それだけで人間の苦悩のすべてを説明しきれるわけでもありません。

本当は自分の中にも、配慮に欠ける部分があり、怠けたくなる気持ちがあり、逃げたくなる願望もある。
その事実を少しずつ引き受けられるようになると、人は変わり始めます。

逆に、自分の好ましくない側面を、ずっと他人や環境や診断名に背負わせ続けていると、場所が変わっても、出会う人が変わっても、同じ苦しさが繰り返されやすくなります。

森田正馬 の言う「あるがまま」は、
「好ましい自分だけを認める」ということではありません。

不安もある。
怠けたい気持ちもある。
嫉妬もある。
優しさもある。

そのどちらも、自分の中に存在している。
それを、理屈で片づけるのではなく、「そういう自分なのだろう」と体験として認めていく姿勢です。

だから森田療法では、単純に「環境を変えましょう」「休めば楽になります」とは勧めません。

苦しみながらも現実に関わり続ける中で、

「周囲は簡単には変わらないこと」
「しかし、自分の受け取り方や動き方は変わりうること」

を、少しずつ身体で知っていく。

その積み重ねの中で、人は自分自身を外へ投げ出さなくなっていきます。

そして最後には、好ましい部分も、好ましくない部分も含めて、「これが今の自分なのだろう」と、静かに引き受けられる瞬間が訪れるのだと思います。

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