なくてもいい、けれど

文学・芸術

かつての私は、
「精神科医っている意味あるの?」
「森田療法なんて、もう古いでしょう」
そんな言葉に触れるたび、
胸の奥で静かに怒りを押しとどめながら、
その存在意義を語ろうとしていた。

けれど今、
同じ言葉を聞いても、
以前のような波は立たない。

精神科医がいない世界も、
森田療法が存在しない世界も、
きっと、それなりに成り立っていくのだろう。

私自身でさえ、
「なくてはならないもの」ではない。

視野をさらに広げれば、
地球も、太陽も、宇宙でさえも、
絶対に必要なものとは言い切れない。

それでも、
私は、願っている。

私が、ここに在ることを。
森田療法が、どこかで息づいていることを。
精神科医という営みが、誰かの中で続いていくことを。

在り続けるためには、
自然の流れにも、
社会のしくみにも、
ある程度、身をゆだねる必要があるのだろう。

私がいることで、
新しく生まれるものがあり、
静かに消えていくものもあるかもしれない。

けれど、
それもまた、
特別なことではないのかもしれない。

流れの中で、
ただ在る。

そういうものなのだと、
思い始めている。

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