森の中に人が見える ―― HOTAKA138kmで体験した不思議な現象

日常

HOTAKA138kmの後半、午前3時ころから、森の中に座っている人が見え始めました。

ロングトレイルでは、疲労や睡眠不足によって幻視や錯視が生じることがあると知っていたので、それほど驚きはしませんでした。

トレイルの脇に、ケースに入ったひな人形が見えます。遠くには駐車場があり、そこに車が出入りしているように見えます。

ところが、近づいてみると、ひな人形は切り株だったり、駐車場は木々の隙間だったりします。木肌の模様や葉の重なり合いが、別のものに見えていたのです。

夜が明けてからも、カラフルな上着を着た人が立っているように見えることがありました。しかし、近づいてみると、やはり、そう見えていただけの木でした。

面白いのは、そうしたものが見えても、まったく怖くなかったことです。

「また見えた」

そう言って笑いながら、走り続けていました。

疲れた脳が見せるもの

長時間走り続け、疲労が蓄積した状態では、普段なら見間違えないようなものを、別の何かとして認識することがあります。

森の中で魔女に出会ったり、雪山で雪男を見かけたりする話も、こうした現象を知ると、少し違った見方ができるように思います。もちろん、個々の体験の理由はさまざまでしょうが、疲労や環境によって、私たちの知覚が変化することは十分にあり得ます。

幻視や錯視は、特殊な状況だけで起こるものでもありません。薬物の影響や、レビー小体型認知症などでも生じることがあります。

ただし、幻視と錯視は少し異なります。錯視は、実際にあるものを別のものとして見間違える現象です。一方、幻視は、そこに対応する対象がないのに、何かが見える現象を指します。

今回の私の体験は、木や葉の形を人形や人の姿として認識していたものが中心だったので、錯視として説明できる部分が多かったのだと思います。

もちろん、普段の生活の中で幻視や錯視が繰り返し生じる場合には、単なる疲労と決めつけず、脳や身体の状態を確認することが大切です。

レースが終わっても、すぐには元に戻らない

フィニッシュした後も、振り返ってみれば、私はまだ酔っぱらったような状態でした。

長時間の運動と睡眠不足によって、身体だけでなく、判断力や注意力も普段とは違う状態になっていたのでしょう。

私は家族に迎えに来てもらいましたが、自分で車を運転して帰る人は、十分に休息を取ってから帰宅した方がよいと思います。状況によっては、一泊してから帰るという選択も必要でしょう。

レースを完走できたからといって、すぐに普段どおりの状態に戻っているとは限りません。自分では大丈夫だと思っていても、判断力が低下していることがあります。

長距離レースでは、こうした点にも注意が必要だと思いました。

安全な日常から、少しはみ出してみる

このような体験をするレースは、身体に負担をかけすぎる、不健康なものなのではないか。そう考える人もいるでしょう。

実際、極端な疲労や睡眠不足には危険が伴います。今回の体験を、無理をすることの勧めとして受け取ってほしいわけではありません。

それでも、私は思います。

私たちは普段、安全で、予測できて、失敗の少ない生活を送ろうとします。危険を避け、効率よく物事を進め、できるだけ不都合のない状態を保とうとします。それは、日常を営むうえで大切なことです。

けれども、安全や効率を優先するあまり、いつも同じ範囲の中で過ごしていると、思いがけない体験に出会う機会も少なくなってしまいます。

真夜中の森で、切り株がひな人形に見えたり、木が人の姿に見えたりします。普段の生活では、まず経験しないことです。

もちろん、幻視や錯視そのものを求めて、身体を酷使する必要はありません。ただ、日常の枠から少し外に出てみることで、普段は意識しない自分の身体や脳の働きに気づくことがあります。

安全を大切にしながらも、安全という名の枠の中だけで生きる必要はないのかもしれません。

ときには、いつもとは違う場所へ出かけ、思いがけない体験に身を置いてみる。

そんな時間も、人生にはあってよいのだと思います。

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