「自分とは何か」「このままでよいのか」「どう生きるべきなのか」
こうした問いを、私たちはしばしば抱えます。もちろん、それ自体は悪いことではありません。むしろ、真剣に生きようとする人ほど、そうした問いに向き合うものです。
しかし、ときにその問いが強くなりすぎると、頭の中で「私」を考え続けるばかりになり、生活の方へ向かえなくなることがあります。
集団や組織は「必要な時に使うもの」
学校、会社、地域、家庭。私たちはさまざまな集団や組織の中で暮らしています。
しかし、それらは絶対的なものではありません。必要だから生まれ、必要な場面で使われるものです。
たとえば、学生時代には学校へ通っていましたが、卒業した今、あえて通う必要はありません。
海外へ行く時には、自分が日本人であることを証明するためにパスポートを持ちます。しかし国内で生活している限り、「私は日本人だ」と常に意識していなくても、普通に暮らしていけます。
「私」もまた、必要な時に使うもの
実は、「私」という感覚も、それと少し似ています。
「私はどんな人間か」「本当の自分は何か」と考えることはできます。けれども、「私」が本当に役立つのは、生活の中で行動し、選択し、何かを実行するときです。
道路も車もない島で暮らすなら、道路交通法は必要ありません。同じように、生活から離れて頭の中だけで「私」を考え続けても、答えは見つかりにくいものです。
考えすぎる人ほど、生活に戻ろう
森田療法では、「行動が先」と考えます。
考えてから動くのではなく、生活に向かって動いているうちに、自分というものが少しずつ形を現してきます。
掃除をする。料理をする。働く。散歩に出る。庭の草を取る。誰かと話す。
そんな日々の行動の中で、「私」は自然に働き始めます。
考えすぎること自体が悪いわけではありません。よく考える力は、生活の中で使えば、大きな力になります。
だからこそ、考えすぎて苦しくなったときは、一度「私」から離れ、目の前の生活に向かってみてください。
「私」は、常に抱え続けるものではなく、生活を営むために必要な時だけ使えばよい道具なのかもしれません。
そして、生活に向かって動いているうちに、いつの間にか「私」は、ちょうどよい場所に戻っているものなのだと思います。

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