人間とAIの違いについては、さまざまに語られています。
体があるかどうか、個体としての死があるかどうか――そうした違いは確かに大きいものです。
けれども、日々の臨床や生活の中で感じるのは、もう少し別のところにある違いです。
それは、「未熟な状態から成長してきた」という履歴そのものです。
AIは、初期設定と膨大なデータの蓄積によって、精度の高い応答を可能にします。
人間もまた、経験を重ねながら応答の幅を広げていく点では似ています。
しかし人間は、完成に近づいていく存在というよりも、
未熟だった頃の自分を内側に残したまま、生き続けている存在です。
ある場面では、大人として落ち着いて振る舞える一方で、
別の場面では、子どものように感情が溢れ出ることもある。
あるいは、子どもと関わるときに、自然とその目線に戻っていくこともある。
私たちは、いくつもの「バージョンの自分」を行き来しながら、応答しています。
感情は、その行き来を引き起こすきっかけの一つなのかもしれません。
そして、創造的な営み――芸術や科学的探究の場面でも、
洗練された現在の自分だけでなく、かつての未熟な自分が、同時に働いているように感じることがあります。
効率や正確さという点では、AIはこれからも進化していくでしょう。
けれども、過去と現在を往復しながら応答するというあり方は、
人間に特有のものとして残り続けるのではないでしょうか。
未熟さを切り捨てず、持ち運びながら生きていること。
それ自体が、すでに一つの力なのだと思います。

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