正しさを握りしめる前に

人間・社会

ときどき、診療の場で考えさせられることがあります。

自分にとって不都合な出来事や、不快な場面に出会ったとき、私たちは自然と「何かがおかしい」「あの人が間違っているのではないか」と感じます。そして、自分が正しい理由を探し始めます。

これは決して悪いことではありません。

自分の身を守るための、とても大切な働きです。生き延びるために備わっている力とも言えるでしょう。

ただ、その「自分を守る力」が強く働きすぎると、別の側面も見えてきます。

自分を正当化するもの同士がぶつかり合えば、対立が生まれます。歴史を振り返れば、その延長線上に大きな争いが起きてきたことも事実です。

もちろん、生存が脅かされる場面を黙って受け入れる必要はありません。

けれども、

「不快だ」

「自分にとって都合が悪い」

という理由だけで、すぐに相手や場面を否定し、排除しようとする方向へ傾きすぎていないか――。

ときどき立ち止まってみることは、大切かもしれません。

自分を守ることと、過度に自分を正当化しないこと。

この二つのあいだで揺れながら、私たちは生きているように思います。

どちらか一方に決め切ることはできません。

だからこそ、悩みながら、迷いながら、その都度、動いていくしかないのでしょう。

人間も、人間社会も、どこか不安定です。

けれど、その不安定さの中で動き続けることこそが、私たちの営みなのかもしれません。

不快さをただ消そうとするのではなく、

その不快さの中で、自分は何を守ろうとしているのか――。

そんな問いを、ときどき静かに持てたらと思います。

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