本が私を呼んでいた日 ー 水木しげると「自然に任せる」ということ

文学・芸術

先週の金曜日、私は高崎駅の構内に立っていました。

14時14分発、湘南新宿ライン特別快速小田原行き。発車まであと12分。

新宿まで約2時間。

「何か本でも読もうか」

そう思い、足は自然とくまざわ書店へ向かいました。滞在できるのはせいぜい5〜6分。直感で選ぶしかありません。

ランニング雑誌も目に入りました。しかしこの日はカバンを持っていない。雑誌はかさばる。上着のポケットに入る文庫本がいい。

文庫コーナーに向かった瞬間、ある名前が目に飛び込んできました。

水木しげる

私は水木しげるのファンです。

鬼太郎シリーズはもちろん、戦争体験を描いた昭和史も何度も読み返しました。数年前には境港の水木しげるロードも訪れています。

その棚にあった一冊のタイトルが、私を射抜きました。

人生をいじくり回してはいけない

なんという題名でしょう。

パラパラと数秒だけ中身を確認。

迷いはありませんでした。すぐにレジへ向かい、足早に2番ホームへ。

電車に乗り、読み始めましたが、当直明けの身体は正直です。数ページ読んだところで眠ってしまいました。

そして日曜日。

前回ブログに書いた通り、頭痛と疲労感のため、水沢山周回のトレイル練習はキャンセル。3日前から珍しく口内炎もできていました。免疫が落ちていたのでしょう。

走らなかったこの日。

その代わりに、読み残していたこの本を最後まで読み切ることができました。

水木しげるの文章を読んでいると、不思議な感覚になります。

彼は努力を否定しているわけではありません。

しかし、「人生を自分の思い通りにねじ曲げようとする態度」には徹底して距離を取っている。

南方で片腕を失うという過酷な体験をしながら、どこか淡々としている。

成功に執着せず、流れに身を任せ、昼寝をし、妖怪を描き続ける。

そこにあるのは、自然観です。

人間が主役ではない。

人間は自然の一部であり、自然の摂理の中で生かされている存在にすぎない。

これはどこか、森田療法の「あるがまま」に通じています。

症状をいじくり回さない。

感情を消そうとしない。

まずは自然の反応として認め、その上で為すべきことを為す。

水木しげるは、それを理論ではなく、生き方として体現していたのではないでしょうか。

振り返れば、あの日の出会いもそうでした。

「5〜6分で何か見つけよう」と思って入った書店。

しかし本当は、あの本が私を見つけたのかもしれません。

当直明けで眠くなることも、

トレイルをキャンセルすることも、

その代わりに本を読むことも、

どれも自然な流れの一部だった。

仁泉堂で私が提唱している自然適応療法も、

人生を無理に操作するのではなく、自然の流れを読み、その中で自分の役割を果たすという営みです。

水木しげるの生き方は、その一つの手本になるのかもしれません。

走れなかった日曜日は、

別の意味で、よく進んだ一日でした。

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