私たちは、正解があると安心します。
迷わずに済み、足場が安定するからです。
けれども、自分の意志で自分の人生を生きていると感じられるのは、
足場が揺れているときではないでしょうか。
どちらかに決めきれない。
簡単に答えが出ない。
その不安定さの中で、
それでも自分で選ぶ。
そこに自由の感覚が生まれます。
どちらも正しいという揺れ
ある患者さんが診察でこう語りました。
- 雇い主や家族に自分が合わせることも必要
- でも、無理に合わせすぎると続かない
そして、
「どちらが正解なのか決めたくなります」と。
合わせることも大切。
無理をしすぎないことも大切。
どちらも本当です。
だからこそ、足場は揺れます。
職場でも、家庭でも
例えば管理職。
部下を思えば自分が背負うべきだと思う。
しかし背負い続ければ疲弊する。
例えば不登校気味の子どもを持つ親。
子どものペースを尊重したい。
同時に、社会に出る力も育てたい。
どちらかを絶対の正解にした瞬間、
もう一方の感覚は切り捨てられます。
正解を決めないという姿勢
正解を固定すれば一時的に安定します。
しかし行動の選択肢の幅は狭くなります。
揺れを抱えたまま、
「今回は引き受ける」
「今日は一歩引く」
と選び続ける。
その積み重ねの中で、
自分なりの判断力が育ちます。
自由は、安定の中で完成するのではなく、
揺れの中で少しずつ育つものなのかもしれません。
不安定に立つ力
悩んでいるときほど、
揺れは強く感じられます。
だから正解を決めたくなってしまうのです。
けれど本来、人は
揺れの中に立つ力を持っています。
仁泉堂は、正解を教える場所ではありません。
足場が揺れても立ち続ける力を思い出す場所です。
揺れはなくなりません。
しかし、その中で自由は育っていきます。

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