医師の力を、あえて使わないという選択

仁泉堂医院

神経症の治療において大切なのは、

「新しい力を与えること」ではなく、

もともと自分の中にあった力を思い出すことだと、私は考えています。

人は本来、状況に応じて考え、選び、引き受ける力を持っています。

けれど、不安や恐れが強くなると、その力をどこかに置き忘れてしまう。

だからこそ治療は、

何かを“足す”ことよりも、

すでにあるものに気づいていく過程なのだと思っています。

医師の力が、妨げになることもある

そのように考えたとき、私は悩みました。

医師という立場には、社会的な「力」があります。

診断をつけること、薬を処方すること、証明書を書くこと。

それらは制度の中では当然の役割です。

しかし同時に、その力を借りることで、

ご本人が本来持っている力を思い出す機会を、

知らず知らずのうちに奪ってしまうこともあるのではないか。

試行錯誤の末、仁泉堂では

  • 薬を用いない
  • 診断名をつけない
  • 医師のサイン入りの診断書・証明書を書かない

という方針を定めました。

医師として「できること」を減らす。

これは、正直に言えば、勇気のいる選択でした。

それでも、医師は“後ろ盾”になってしまう

ある方が、こんなことを話してくださいました。

職場で自分の意見を述べたあと、

「医者もそう言っていました」と付け加えたそうです。

その方は、それを少し申し訳なさそうに告白してくれました。

私は、その行為を責める気持ちはありません。

善悪の問題でもありません。

ただ、仁泉堂で目指している治療の本質とは、少し方向が違うのです。

自由は「引き受けること」とセット

ここで行っている神経症の治療では、

行動の自由は、

その結果を自分で引き受けることと常にセットです。

自分の意見を言う。

相手から疑問を投げかけられる。

それに自分の言葉で応える。

その一連の流れを、自分で担うこと。

そこに「医師もそう言っているから正しい」という後ろ盾が入ると、

知らないうちに、

医師がいなければ、私は自分の意見を言えない

という構造が生まれてしまう可能性があります。

それは、自分の自由を、

自分の手から少しだけ手放してしまうことでもあります。

後ろ盾なしで立つということ

後ろ盾なしに、

自ら行動を選び、

その結果を自ら引き受ける。

それが少しずつできるようになると、

  • 他人の目への過度なとらわれ
  • 失敗への強い恐怖
  • ぐるぐると止まらない思考

そういったものから、静かに解放されていきます。

医師の力を使わないという選択は、

その人が本来持っている力を、

その人自身のものとして取り戻していくための、

あえての「引き算」なのです。

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