隔たりが生む残酷さ

人間・社会

だいぶ前のことになるが、多摩動物公園のライオンバスに乗ったことがある。バスの中から見るライオンは、迫力がありながらもどこか安心して観察できる存在だった。窓と鉄棒に守られているからこそ、安全圏から眺めることができるのだ。

そのとき、前の席に座っていた少年が、目の前のライオンをからかうような手振りをしていた。もし彼が丸腰でライオンの前に立たされていたら、そんな行動はとてもできなかったはずだ。

この光景を思い出すたびに、SNS上での誹謗中傷と重なって見えることがある。直接向き合う必要のない安全な場所から、相手を傷つける言葉を投げる。それは、鉄格子越しにライオンをからかう行為と同程度の気軽さで行われているのではないだろうか。

かつての侍は、戦う前に名乗りを上げたという。陰から鉄砲で狙い撃ちするような戦い方は「卑怯」と見なされた。しかし、現代の戦争では、ドローンによる攻撃が当たり前になりつつある。攻撃する側は安全な場所にいながら、相手に一方的な攻撃を仕掛ける。そこには名乗りも対話もない。

人は、目の前にいる相手にはなかなか残酷になれない。しかし、空間を隔てることで、その歯止めは容易に崩れる。距離が遠くなればなるほど、人は冷酷になれるのかもしれない。

新しいテクノロジーは、利便性をもたらす一方で、人をより残虐にする可能性も孕んでいる。オンラインで物事が決定され、遠隔操作で命が奪われる時代。その冷たさと恐ろしさを、私たちはどこまで自覚できているのだろうか。

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