仁泉堂医院

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仁泉堂ブログ「あるがままを生きる」300回を迎えて

仁泉堂ブログ「あるがままを生きる」は、このたび300回を迎えました。ここまで読んでくださった皆さまに、心から感謝いたします。2024年7月 ― あり方を改める決断2024年7月。それまでの数えきれない臨床体験の積み重ねの中で、私は仁泉堂のあ...
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医師の力を、あえて使わないという選択

神経症の治療において大切なのは、「新しい力を与えること」ではなく、もともと自分の中にあった力を思い出すことだと、私は考えています。人は本来、状況に応じて考え、選び、引き受ける力を持っています。けれど、不安や恐れが強くなると、その力をどこかに...
人間・社会

無駄を削りすぎた社会で、心はどこへ行くのか(2)

意味を求めすぎる社会で、人は生きづらくなる意味のないこと、役に立たないことが、次々と排除されていく世の中。その中で生きる人間もまた、過剰に「意味」や「役に立つこと」を求められるようになっていきます。自分は生きている意味があるのだろうか。社会...
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できないのではなく、選べることを忘れているだけ

先日、初診から1週間後に、2回目の診察に来られた方が、こんな話をしてくれました。初回の診察で私が「この状態には森田療法が合っているように思います」とお伝えしたことについてです。その方は、「自分の苦しみが、ちゃんと治療の対象になると感じられて...
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「場を整えるという仕事 」 — では何をしているのか

前回、仁泉堂では、医師が患者さんに薬や診断、考えの方向性を与えない、という話を書きました。では、何も与えないのだとしたら、ここではいったい何をしているのでしょうか。私は、自分の役割を「場の管理者」だと考えています。人生が「選択する行為」だと...
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「施さない医療という選択」— なぜ与えないか

私は、森田療法を「医師が患者さんに施す治療」だとは考えていません。森田療法は、誰かに何かをしてもらうことで良くなっていくものではなく、本来は、自分自身に向けて行われるものだと思っています。私自身、日々の生活や仕事の中で、不安や違和感を抱えな...
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選ぶ行為そのものが、人生である

私たちはつい、「選んだ結果」で人生を振り返ろうとします。あの進路を選んだから今がある、あの決断が成功だった、失敗だった――人生を一つの物語として整理しようとする見方です。けれど最近、私はこう考えるようになりました。人生とは、選んだ結果ではな...
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なぜ仕事の相談で、朝食の話をするのか

会社で仕事が重なり、「やる気が出ない」「もう休みたい」そう訴える患者さんに出会うことは、決して珍しいことではありません。仕事の量や内容は、いつも同じではありません。比較的余裕のある時期もあれば、同時にいくつもの案件を抱えざるを得ない時期もあ...
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心のランニングフォームと心のランニングエコノミー

ひとつの動きだけを繰り返すトレーニングを続けていると、使われない筋肉が固まり、やがて全体の動きが重くなっていきます。心もそれとよく似ています。同じ職場、同じ役割、同じ人間関係の中に居続けていると、心の使われ方が偏っていきます。ある側面ばかり...
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第4回 屋外清掃セラピーを終えて ―「今ここ」で生きる体験

昨日、第4回の屋外清掃セラピーを行いました。午前10時にクリニック前に集合。天候の影響もあって、今回の参加者は私を含めて3名と少人数でしたが、その分、密度の濃い時間になりました。強い風の中、前回とは違うコースを歩きながらゴミ拾いを開始。BB...
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