「死んでいるのに、生きていることになっている」

日常

トレイルランニング仲間が冗談まじりに言いました。

「もし山で死んで、遺体が見つからないとさ。

法的には“死亡”にならなくて、ローンの補償も降りないんだよ。

家族に迷惑かけるから、発信機つけてるんだ。」

その瞬間、胸の奥に奇妙な引っかかりが残りました。

身体は死んでいるのに、制度上は“生きている扱い”——

このズレ自体が、どこかおかしい。

山では、生か死かは驚くほどシンプルです。

生命活動が止まれば、それは「死」。

自然は何の迷いもなく現実を示します。

ところが社会は、

「証明があるか」「手続きが整っているか」で死を決める。

自然の明瞭さに比べると、まるで別世界の話です。

■自然の現実と、制度の現実

人間はまず自然の中にいる存在であり、

社会のルールはその上にあとから作られた仕組みにすぎません。

それなのに制度のほうが“現実の上位”に立つと、

私たちは時々、こうした妙な不一致に出会います。

私の中に生じた違和感は、

「自然こそが本来の現実だ」という思いの表れだったのでしょう。

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