無駄を削りすぎた社会で、心はどこへ行くのか(2)

人間・社会

意味を求めすぎる社会で、人は生きづらくなる

意味のないこと、役に立たないことが、次々と排除されていく世の中。

その中で生きる人間もまた、過剰に「意味」や「役に立つこと」を求められるようになっていきます。

自分は生きている意味があるのだろうか。

社会の役に立っているのだろうか。

そうした問いを抱える人は、これからますます増えていくのではないでしょうか。

そもそも、この宇宙が存在する意味、地球が存在する意味、生命が誕生した意味に、明確な答えはあるのでしょうか。

私たちが社会の中で追及している「意味」とは、多くの場合、「多くの人にとって都合が良いこと」を意味がある、役に立つ、と呼んでいるにすぎないのかもしれません。

面倒な手続きや書類、形式的な儀式が減ってほしいと感じることは、私自身にも多くあります。

けれども、それらを「無意味だから」「役に立たないから」と、徹底的に削ぎ落としていった先に、何が残るのだろうか、とも思うのです。

意味を求めすぎる社会は、人に安らぎを与えるどころか、

「意味がなければ存在してはいけない」

そんな無言の圧力を、人の心にかけてはいないでしょうか。

意味がない時間、役に立たない行為、ただそこにいるだけの自分。

それらを、もう一度、許してもよいのではないでしょうか。

仁泉堂では、

意味を見つけることや、役に立とうとすることを、急いで目標にするのではなく、

日々の生活や行動を通して、自然に心が動いていく過程を大切にしています。

意味は、つくるものではなく、あとから気づくものなのかもしれません。

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