川沿いのサイクリングロードで思うこと
私は、ランニングのトレーニングに、よく川沿いのサイクリングロードを使っています。
そのため、自転車に追い越されたり、すれ違ったりする場面が頻繁にあります。
そのたびに感じるのは、「走る」という動作が、長距離移動という点では、とても非効率だということです。
走る動きは、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいる
走る動きは、一歩一歩がブレーキであると同時にアクセルでもあります。
自転車にたとえるなら、ブレーキを周期的にかけながらペダルをこいでいるようなものです。特に下り坂を走る時、それをはっきりと感じます。
ランニングもトレーニングを積めば、ブレーキを最小限にすることはできます。しかし、構造的に見れば、自転車にはどうしてもかないません。
では、人間の身体は「走ること」に向いていないのでしょうか。
私はそうではないと思っています。
人間は等速直線運動に向いていない
正確には、人間は等速直線運動に向いていないのです。
一歩一歩、速さや方向を微妙に変えながら進む場面では、むしろ走る方が有利になります。
登山を思い浮かべていただくと、イメージしやすいでしょう。平坦で一直線の道よりも、凹凸があり、状況が刻々と変わる場所こそ、人は力を発揮します。
人間の得意技は「情報処理」である
現代社会では、「速く」「遠くまで」移動できることが重宝されます。
そのため、人間は高速な乗り物に頼りがちです。
しかし、人間の本当の得意技は何でしょうか。
それは、前頭葉の進化によって得た情報処理能力です。
周囲の変化を感じ取り、その都度、最適な速さと方向を選び直す。その点では、走るという移動手段は、自転車よりも優れていると言えます。
もし、狙われているとしたら?
ここで、少し極端な想像をしてみてください。
あなたが職場から自宅へ帰る途中、道のどこかで、猟銃や弓矢の達人があなたを狙っているとしたらどうでしょう。
等速直線で進む移動は、きっと狙われやすいでしょう。
しかも、自転車が走れる平坦な道は、相手にも予測されやすい。
一方、走っていれば、人影や物音を感じるたびに、次の一歩を選び直すことができます。
凹凸のある場所や岩場も通れるため、ルートを読まれにくくなります。
走ることは、生き残るための合理的な選択だった
走りは、身体能力では他の多くの動物に劣る人間が、生き残るために獲得してきた、理にかなった移動手段なのだと思います。
そういえば、私自身、学生時代にラグビーをしていました。
相手のタックルをかわすために、方向転換――いわゆるステップの練習を繰り返していたのです。
人生という「行動の選択」
最後に、この話を「人生」という行動の選択につなげてみたいと思います。
選択するという瞬間こそが、人間らしい加速度運動が発揮されるときです。
一方、その後の結果だけを追い続ける生き方は、等速直線運動に近い。
等速直線運動のまま進む生活は、ある意味で無防備です。
そして、人間が本来持っている「選び直す力」を、十分に生かしていない生き方とも言えるのではないでしょうか。

コメント