与えないことの意味 〜ともに作業をするという心理療法〜

仁泉堂医院

仁泉堂では、薬も診断書も出しません。

それは、「与えること」が人の自然な回復の力を覆い隠してしまうことがあるからです。

薬や診断、助言や慰めといった“与える行為”は、一見すると優しさや支援のように見えます。

けれども、その背後には「与える側」と「与えられる側」という関係が生まれます。

この関係ができた瞬間、人は無意識のうちに、自分で動く力を失ってしまうことがあります。

心理療法が目指すのは、その人の中にある自然な力の再生です。

だからこそ、私たちは“与えない”という姿勢を大切にしています。

心理療法とは、本来「何かをしてあげる」ことではなく、

ともに作業をすることです。

それは、話を通して自分の心の動きを見つめる作業であったり、

日常の行動を一つひとつ確かめる作業であったりします。

あるいは、言葉にならない時間をただ共有することすら、作業の一つです。

この“ともに作業をする”という関わりの中で、

人は自分の感情や行動の手応えを取り戻していきます。

誰かから答えを与えられるのではなく、

自分の体験から自然に生まれる調和によって、

次の行動が形づくられていくのです。

もちろん、私自身も人間です。

苦しんでいる人を前にすると、

つい助言や解釈を口にしてしまうことがあります。

そのたびに、「与えないことの難しさ」に気づかされます。

与えないというのは、冷たくすることではありません。

むしろ、その人の中に生まれようとする力を信じて、余白を残すことです。

セラピストが手を出しすぎないことで、

クライアント自身が自分の力で人生を動かしはじめる“空間”が生まれます。

心理療法とは、その空間をともにつくり、

ともに作業をしながら、少しずつ自然に整っていく営みです。

「治す」のではなく、「ととのう」方向へ。

それが、仁泉堂が薬も診断書も与えない理由なのです。

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