意味のないことが、私たちを癒してきた
最近の世の中を見ていると、「意味のないこと」「役に立たないこと」を削っていくことが、やけに推奨されているように感じます。
医療の世界でも、デジタルトランスフォーメーションの名のもとに、受付や診療の効率化が強く求められるようになりました。患者さんから話を聞いていると、企業や役場も同じ流れの中にあるようです。
私自身、20〜30代の頃は、効率の悪い作業や、無駄に感じる会議、職場の飲み会などを、とても嫌っていました。
「もっと合理的にできるのに」「この時間に意味はあるのだろうか」
そんなことを、よく考えていたように思います。
けれども最近、無駄を徹底的に省くことが当たり前になった社会の中で生きていると、少しやりすぎではないかと感じることがあります。
皆さんも、同じような感覚を持つことはないでしょうか。
私たちが癒しを感じる場面を思い浮かべてみると、案外「意味のないこと」をしている時ではないでしょうか。
家族で何かを決めるための会議をするよりも、ゲームをしたり、一緒にテレビを見たりしている時間の方が、心が和むことは多いものです。
昔のクリニックでは、診療そのものよりも、待合室での世間話を楽しみに通っていた患者さんが、少なからずいたと聞きます。
意味があるか、効率的か、役に立つか。
それらを徹底的に突き詰めすぎたとき、私たちは知らず知らずのうちに、癒しの入り込む余地を失っているのではないでしょうか。

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