「できるけど、しない」という言葉を聞くと、
それをただの“言い訳”や“逃避”のように感じる人もいるかもしれません。
しかし、ここで言いたいのは、口先の宣言ではなく、内側にある確かな感覚のことです。
「しない」と言えるためには、「できる」が必要
本当の「しない」は、
「できる」という自信を背景にしています。
自分の力を知り、行動しようと思えばできる――
その感覚が身体に宿っているとき、
初めて「しない」と穏やかに言えるようになります。
逆に、不安や無力感を抱えたまま「しない」と言っている場合、
それはまだ「できない」と感じている段階かもしれません。
言葉ではなく、身体の底で“できる”と感じているかどうかが、
この二つの違いを分けます。
「しない」は逃避ではなく、成熟の静けさ
「できるけど、しない」というのは、
現実から逃げるためではなく、
行動する力を持ったうえでの静かな選択です。
他人に認められるために何かをするのではなく、
自分のリズム、自分の流れに従う。
その中に、深い安心が生まれます。
それは、努力の放棄ではなく、
「もう無理をしなくても大丈夫だ」と身体が知っている状態です。
感覚としての自由を育てる
「しない自由」は、頭で理解するものではなく、
日々の経験の中で少しずつ育つものです。
自分の限界を知り、できることを増やしながら、
その先にようやく、「しない」穏やかさがやってきます。
それは、表現しようとしても、うまく言葉にならない――
でも確かに、“感じられる”自由です。
結びに
「できるけど、しない」と言えるとき、
私たちは初めて、自分の生を自分の手に取り戻しています。
それは、他人に向けた強がりではなく、
自分の中に根を下ろした静かな強さです。
この感覚が広がっていくことこそ、
心の健康であり、成熟した生き方だと私は思います。

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