私たちの体は、じっとしているように見えて、実は静かに作り替えられています。
皮膚の細胞は数週間で入れ替わり、腸の粘膜は数日で生まれ変わる。細胞そのものが変わらなくても、その中のタンパク質や分子は、日々壊され、また作られています。
生命とは、破壊と創造の継続によって“維持”されている存在です。
では、「私」という意識はどうでしょうか。
日々接する出来事、感情、対話、人間関係の変化——それらに反応しながら、私たちは少しずつ、確かに変わっています。
変わらないようでいて、実は微細な揺らぎがあり、その積み重ねが「今の私」を作っています。
「変わらないために、変わり続ける必要がある」
これは矛盾のようで、生命にとっては自然な在り方です。
もし細胞が壊されず、新しいものが補われなければ、体は維持できません。
同じように、もし“私”が何も更新されないまま時間だけが過ぎれば、やがて世界とのズレが広がり、立ち止まったままの私が苦しむことになります。
だからこそ、生きるとは小さく変わり続けることなのだと思います。
昨日の私とは少し違う今日の私。
そして今日の経験が、明日の私をつくる。
変化を恐れないことは大切ですが、「積極的に変わろう」と力む必要もありません。
生物が自然に細胞を更新するように、私たちの心も、日々の行動や出会いの中で静かに作り変えられていきます。
その変化を受け入れること、
そして、ときに自分から一歩動いてみること。
——こうしたささやかな営みが、私たちを“私らしく”保ってくれます。
「私が私であり続けるために、私は変わり続けている」。
それは決して矛盾ではなく、むしろ生命が持つ美しいパラドックスなのかもしれません。

コメント