召使いまかせで暮らした男の“バカボン的結末”

文学・芸術

子どもの頃に読んだ赤塚不二夫の『天才バカボン』の一話が、今でも忘れられません。

ある男が召使を雇い、日常のことをすべてやらせていました。食事の準備も着替えも掃除も、何から何まで召使まかせ。自分は何もせずに生活を送っていたのです。

ところがある日、男は偉そうに「もう出て行け!」と召使を追い出してしまいます。すると当然、自分には何もできない。困り果てた男は、結局「戻ってきてください」と懇願することになります。ところが今度は立場が逆転し、召使からこき使われる羽目になってしまう――そんなお話でした。

小学生だった私にとって、この話は強烈な印象を残しました。「他人に頼り切ることで、自分の力を失ってしまう」ということを、子どもながらに感じ取ったのです。

依存はなぜ危ういのか

便利なものや人に頼ること自体は悪いことではありません。助けを借りることで、できることが広がるのも事実です。

しかし、すべてを人任せにしてしまえば、自分の力は育ちません。いざ頼れる相手や制度がなくなったとき、身動きがとれなくなってしまいます。

現代の私たちは、生活の多くを「他人」や「制度」や「テクノロジー」に委ねています。スマホがなければ調べ物もできない、制度がなければ生活の見通しが立たない。便利で安心な社会の中で、知らず知らずのうちに「自分で考え、行動する力」を手放してしまう危険があります。

自分で引き受ける姿勢

臨床の現場でも同じことを感じます。人に頼ることは必要ですが、「自分の課題を自分で引き受ける姿勢」がなければ、問題は解決に向かいません。むしろ依存が深まると、かえって生きづらさが増してしまうことさえあります。

『天才バカボン』の一話は、ユーモアたっぷりに描かれていましたが、そこには普遍的な教訓が含まれていると思います。

「頼ること」と「依存すること」は違う。人の助けを借りながらも、自分の人生の舵は自分で取ること。

あのとき子ども心に感じた印象は、大人になった今こそ大切にすべきものだと改めて思います。

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