概念の世界と感覚の世界

人間・社会

私たちは、世界をそのまま生きているようでいて、実際には「概念」を通して世界を見ていることが多いのではないでしょうか。

学問とは、物事をパターン化し、単純化し、分類し、名前を与える営みです。そうすることで世界は理解しやすくなり、扱いやすくなります。予測ができ、効率よく動けるようにもなります。人類がここまで繁栄してきたのは、こうした力のおかげでもあります。

一方で、芸術は少し違う方向を向いています。

できるだけ対象をそのままに近いかたちで差し出し、受け手の感覚や連想に委ねます。そこには正解も結論もありません。ただ、見る人、聴く人、それぞれの内側で何かが響きます。その曖昧さこそが、人生に奥行きや味わいを与えてくれるのだと思います。

学問と芸術。

この二つは対立しているようでいて、人間が生き延びるための両輪でもあります。概念によって世界を把握し、感覚によって世界とつながる。その両方があって、私たちはここまで種をつないできました。

ところが現代社会では、概念の世界があまりにも大きくなっています。

データ、評価、数値、診断、効率。私たちは、わかること、説明できること、管理できることに、どうしても価値を置きがちです。それによって多くの便利さを手に入れましたが、その一方で、言葉にならないものや、役に立たないものを感じ取る力が、少しずつ後回しにされているようにも感じます。

けれども、人間の生は本来、概念だけで完結するものではありません。

匂い、温度、音、光、身体の緊張やゆるみ、理由のない不安や懐かしさ。そうした感覚の層の上に、私たちの意識や思考は成り立っています。

私たちは、概念の世界と感覚の世界、そのあいだを行き来しながら生きている存在なのです。

では、私たちはこの二つの世界を、人生の中でどのように使い分けているのでしょうか。

次回は、そのことを「人生の前半と後半」という視点から考えてみたいと思います。

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