生産者の名前があると安心できる理由
スーパーで野菜や果物を手に取ると、生産者の名前が書かれているのを見かけることがあります。あれを見ると、その野菜や果物がとても大切に育てられたものだと感じられ、自然と安心感が湧いてきます。きっと作った人が「自分の名前を出しても大丈夫」と思えるくらい、丁寧に手をかけたからこそなのでしょう。
名前のないモノに囲まれて
けれど、よく考えてみると、私たちの身の回りの品々には、作り手の名前が書かれていないもののほうが多いものです。皆さんも、何かしらの作業や仕事に携わる機会があると思います。そのとき、自分が手がけるものに、どれほどの誇りと心を込められているか、ふと立ち止まって考えることもあるのではないでしょうか。「お客さんのことなんて気にしない」とまで思わなくても、「忙しさに追われて、つい雑になってしまった」という経験は、多くの方に共通するものだと思います。
顔の見えないやり取りが増えて
最近は、取引先とのやり取りでも、担当者の顔が見えづらくなったと感じることがあります。作業をお願いしても、誰が手がけてくれているのかはっきりせず、その仕上がりもどこか雑になったように見えることも。効率化や分業が進む一方で、「心を込める余裕」が少しずつ削られているのかもしれません。
ふと頭をよぎる疑問
そんなとき、ふとした疑問が浮かびます。この部品は本当に丁寧に作られているのか。乗っている車は安全なのか。今日食べた野菜には余計な農薬が使われていないのか。薬局でもらった薬は、きちんと規格通りに作られているのか。そして、診てもらったお医者さんは、自分にとって最良の方法を尽くしてくれたのだろうか…。
誰かのために、心を込めること
作り手の顔が見える関係は、やはり安心感があります。しかし最近は、「顔の見えない仕事」や「顔の見えないやり取り」が増えてきているように感じます。だからこそ、誰かの役に立つ仕事をするときは、「自分の名前を出しても恥ずかしくない」と思えるくらい、誇りと心を込めたいものです。
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