以前の記事で、戦隊シリーズの歌詞にある「強さは力じゃないのさ、男らしさと正しさだ」という一節を取り上げ、「男らしさ」について考えました。今回は、その続きとして「正しさ」とは何かを考えてみたいと思います。
この歌詞は、あくまで戦隊シリーズの世界観の中のものです。具体的には、戦隊チーム(サンバルカン)が「正しく」、敵であるブラックマグマが「正しくない」という構図になっています。しかし、こうした単純な正義と悪の対立の構造は、子どもたちに誤った概念を植え付ける可能性があります。
社会の「正しさ」は普遍ではない
私たちが普段「正しい」と思っているものは、実は社会制度や文化、時代によって変わります。
例えば、戦時中の日本では「正しい」とされた価値観が、戦後には進駐軍によって「不正」だと教えられました。また、世界各国の法律や宗教の教えを見ても、それぞれの社会で「正しい」とされることは大きく異なります。
このように、思想や政治、法律に基づく「正しさ」は、絶対的なものではなく、ある集団の価値観や都合によって決められたものに過ぎません。では、本当に普遍的な「正しさ」とは存在するのでしょうか?
自然の摂理こそが普遍的な「正しさ」
私が考える普遍的な「正しさ」は、人間の作った制度や価値観ではなく、「自然の摂理」に基づくものです。
例えば、
• 物理法則は変わらない(重力がある、エネルギー保存則が成り立つ)
• 生物は必ず死ぬし、一度死んだら生き返らない
• 時間は巻き戻せない
• 他人は思い通りにならない
• 自分の体の多くも思い通りにならない
これらの事実は、どの時代・どの文化でも変わることはなく、世界共通の「正しさ」と言えます。
「正しさ」は「信念」とどう違うのか?
戦隊シリーズの歌詞で使われている「正しさ」は、おそらく「信念」に近いものではないでしょうか。つまり、「自分たちが信じるものを貫くこと」が「正しさ」として描かれているのです。
しかし、これはあくまで特定の集団の価値観に基づくものであり、普遍的な「正しさ」ではありません。むしろ、「正義」と呼ばれるものの多くは、ある集団の恣意的な信念によって生まれたものであると言えるでしょう。
「本当の正しさ」とは何か?
本当に「正しい」ものは、人間が勝手に決めた価値観ではなく、自然の摂理そのものです。私たちは、社会のルールや道徳を「正しい」と思いがちですが、それらはすべて人間が作ったものであり、時代や環境によって変わるものです。
自然の法則に逆らうことはできません。だからこそ、私たちは本当の「正しさ」を見極め、それに従って生きることが大切なのではないでしょうか。
コメント
こんばんは、コメントさせていただきます。
正しいについて、興味深く拝読させていただきました。
信念という正しさは、私は子供の頃、特にアニメから学んだように思います。誰もが共感しやすい綺麗な正義、そしてわかりやすい悪役が存在し、悪いやつはたおされ、もしくは改心させられ、平和が訪れたりします。みんなが幸せになるハッピーエンドです。
社会人になり、そんな綺麗事はめったになく、理不尽な事が往々にして起こります。
最初は、悲しみや悔しい気持ちにもなりましたが、人の数だけ正しいも悪もあるのだと知りました。
そして、いつだったか、悪と決められた者にも、信念があり、なぜ決めつけられ一方的に攻撃されなければならないのか。誰が決めたのか。視点が変われば、正しさはいかようにも変化してしまう曖昧なものと気がつきました。先生のお話にも共感いたしました。
そんな中で、確固たる正しさに、自然の法則をあてはめることに、なるほどと感じました。
長くなってしまいますが、もうひとつ、
割と最近、気がついた事で、キリのいい時間、というものがあります。
今まで、例えば予定を立てる時、8:00、10:30、19:20、など、00のキリの良い時間で予定を組んで行動の目安にしていました。
けれど、そう決めなくても良かったんだよね、と気がついたのです。会社の始業時間やお店の営業時間など、自分で決められないものもありますが、自分の予定に、誕生日や記念日や語呂合わせ、例えば22分や31分や、何分だって良い。
そうやってアラームを設定したとき、時間に優しさや愛着を感じました。アラームが鳴るたび思い出すのです。
3分だったら、ラーメンが出来上がった美味しい記憶が出てきたりします笑
無意識に従っていたのは人が決めた事で、自然な正義はもっと自由ですね。
そういえば電車通勤の方は、時間が色々なので、何言ってるんだろうとなるかもしれません。
今回は特に時間に対してでしたが、先生が提示した他の正しいに感しても、きっと無意識に人の正しいが当てはめられているような気がするので、考えてみようと思います。
長文、大変失礼いたしました。
コメントありがとうございます。今回もとても興味深く拝読しました。
子供の頃にアニメを通じて学んだ「正しさ」と、大人になってから直面する「曖昧な正しさ」の違い、この対比は、多くの人が経験するものかもしれません。おっしゃる通り、正しさは視点によって変わるものであり、「誰が決めたのか?」という問いを持つこと自体が、とても大切なことだと感じます。
そして「自然の法則を正しさの基準にする」という視点に共感していただけたこと、嬉しく思います。社会的なルールや慣習による正しさとは異なり、自然のリズムには普遍性があります。たとえば、太陽が昇れば明るくなり、沈めば暗くなる。このシンプルな事実は、誰の都合によっても変わらず、私たちの体や行動にも深く関わっています。
時間についてのお話も、とても面白いですね。「キリのいい時間」に無意識に縛られていたことに気づき、自分なりの時間の使い方を見つけること、それは、時間に対する柔軟性を取り戻すことにもつながる気がします。特に、「アラームの時間に愛着を感じる」という視点は新鮮でした。時間をただの数字ではなく、記憶や感情と結びついたものとして捉えるのは素敵ですね。
自然に従って生きるとすれば、時間の使い方もより自由でよいのかもしれません。例えば、日の出とともに起きる、月の満ち欠けに合わせて生活のリズムを調整する、といった方法も考えられます。こうしたアプローチを試してみることで、私たちの体や心がどのように変化するのか、とても興味があります。
「無意識に従っていたのは人が決めたこと」という気づき、まさにその通りですね。私たちが「当たり前」と思っていることも、一度立ち止まって見直してみると、もっと自由な選択肢があるのかもしれません。
今回も素敵なコメントをありがとうございました。引き続き、ぜひ一緒に考えていければと思います。
すみません、自然な正義→自然な正しさ、でした。