「できない」は自己暗示? 〜ランニングから学んだこと〜

日常

限界を決めていたのは自分だった

先日、ランニングの練習会に参加しました。練習メニューは「4分半/kmのペースで10km走る」というもの。これまで5分半〜6分/kmでしか走ったことがなかった私は、「そんなスピードで走り続けるのは無理だろう」と思いました。

しかし、コーチの方が「陸上トラックの上だと、普段よりもスピードが出ますよ」と声をかけてくれました。その一言に、「もしかしたらトラックならいけるかもしれない」と思い直し、挑戦してみることにしました。

結果は驚くべきものでした。10kmを4分半/kmのペースで走りきることができたのです。そして、それ以来、普段のアスファルトの道でも同じペースで走れるようになりました。

練習会前の私は、「その速さでは走れない」という自己暗示をかけていたのかもしれません。しかし、「トラックなら速く走れる」という言葉が、逆向きの暗示として働き、それを打ち破るきっかけになったのです。そして、一度達成してしまえば、もはや暗示の力は必要なくなりました。

自己暗示を解く「一言」の力

「できない」と思っていることの多くは、実は負の自己暗示によるものかもしれません。今回の体験を通じて、私は自分がその自己暗示にかかっていたことに気づき、そしてそこから抜け出す経験をすることができました。

負の自己暗示を解く「一言」を使いこなせる人は、精神科医だけではありません。優れたアスリートのコーチ、教え上手な上司や先輩など、さまざまな場面で人を導く存在がいます。

一方で、逆に暗示を強める言葉をかけてしまうこともありえます。たとえば、かつての私は、患者さんの言葉に共感しすぎたり、診断に固執しすぎたりしたことで、患者さんの「できない」という自己暗示を強めてしまった経験がありました。

たとえば、うつ病が軽快したものの、なかなか社会復帰できない患者さんが「億劫で人と会う気になれないんです」と言ったとき、私は「うつ病による抑うつ気分があるので、億劫になるのです」と返してしまったことがあります。しかし今であれば、決してそのような言葉はかけません。「あなたが会う気になれない人とは誰のことですか?」と質問し、対話を続けるでしょう。

言葉がもたらす影響

私たちは、無意識のうちに自分自身や他人に暗示をかけています。そして、その暗示は「できない」という制限を生むこともあれば、「できる」という可能性を開くこともあります。

精神科診療に携わる方々はもちろんのこと、人を導く立場にいるすべての人に、言葉の持つ力に敏感であってほしいと思います。言葉ひとつで、相手の可能性を狭めることも、広げることもできるのですから。

今回のランニングの経験を通じて、私は「できない」という自己暗示を打ち破る力を持つ「一言」の重要性を再認識しました。そして、その「一言」を適切に使える人こそが、本当に人を支え、導くことができるのだと思います。

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