山と人生の共通点—遭難しないための準備とは?

人間・社会

登山と人生の遭難—備えの大切さを考える

最近、富士登山で軽装のまま遭難する登山者の問題が報道されることが増えています。高齢者の登山や初心者の無謀な挑戦による遭難も後を絶ちません。「好きで山に入ったのだから、自分で下山するのが当たり前だ」という意見も多く聞かれます。

私自身、登山やトレイルランニングを趣味としており、安全な登山のために以下のポイントを常に意識しています。

  • 日々のトレーニングによる能力向上
  • 自分の能力に見合った登山プランの作成
  • 遭難の可能性を考慮した備え
  • 救急セットの携帯
  • 自力下山の原則を念頭に置くこと

こうした心得は、実は「人生における遭難」とも言える困難な状況に対処するためにも応用できるのではないでしょうか。

人生における遭難への備え

クリニックで診療をしていると、人生の困難に直面している方々とお会いすることがよくあります。そんなとき、登山者の心得を人生にも適用できるように感じます。

  1. 生活能力(社会とのつながりや作業能力など)を向上させるためのトレーニングをしているか
  2. 現在の能力に合った環境や人生プランを選んでいるか
  3. 人生におけるトラブルを常に想定しているか
  4. トラブルに遭遇した際の「救急セット」(頼れる人やリソース)を持っているか
  5. そのトラブルから自力で抜け出すための心得を持っているか

ある患者さんが「登山は自ら望んで行くから自己責任、人生は自分の意思で生まれてきたわけではないから責任はない」と話していました。しかし、私はその考え方は極端だと思います。

登山においても、初心者が無謀なルートに挑んだり、装備なしで冬山に登ったりするのは「自己責任」と非難されても仕方ないかもしれません。しかし、十分な準備をした上での遭難は避けられないこともあります。ベテランの登山者でさえ遭難することがあるのです。

人生においても、どの程度準備をしていたかによって、周囲のサポートのあり方や介入の仕方が変わってくるのではないでしょうか。山でも人生でも、最後に頼れるのは自分とそれまでの経験です。自力で困難を乗り越える姿勢を持ちつつ、必要なときには他者や救援システムの力を借りる柔軟さも大切です。

そのうえで、山においても人生においても、挑戦し失敗した人を責めたり、助けを求めた人を非難したりするのではなく、支え合う社会であってほしいと願っています。

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