「神経症」と「不安症」の違いを考える:当院で神経症という言葉を用いる理由

仁泉堂医院

「神経症」という言葉は、20世紀初頭、フロイトの時代から使われてきました。この概念は、「脳そのものの疾患ではなく、心理的や環境的な影響による精神的不調」を表すものとして発展しました。同時代の森田正馬も、ヒポコンドリー基調(身体の不快感に敏感で、病を恐れる傾向)を背景に、精神交互作用という心理的悪循環によって発症する病態を「森田神経質」と呼び、神経症の一部に位置付けました。

一方で、「不安症」という用語は、20世紀後半にアメリカ精神医学会のDSM(精神疾患の診断と統計マニュアル)で登場した、比較的新しい概念です。この違いを整理すると、神経症は発症のメカニズムに注目して病態を捉えるのに対し、不安症は症状群そのものを名付けたものだといえます。

私は治療の観点から見ると、神経症という概念の方が、不安症という症状リストよりも使いやすいと考えています。不安を単なる「症状」として捉えると、不安を否定し、排除すべきものという見方を助長しかねません。しかし、不安には誰にでも起こりうる正常な側面があります。たとえば、「初めて会う人の前での緊張」や「試験前の緊張」は、自然な反応ですが、病的な不安と明確に区別することは難しいものです。

森田正馬が示したように、不安そのものは「あって良いもの」として受け入れ、それに過度にとらわれたり、不自然に抗おうとしたりすることこそが病態であるという考え方は、非常に明快です。この視点に立つと、不安をむやみに「症状」として扱うよりも、不安と共に生きる道を探ることが治療において重要だといえるでしょう。

そのため、当院では「不安症」という言葉を避け、「神経症」という用語を使うよう心がけています。これは、症状に名前を付けることで得られる一時的な安堵感にとどまらず、患者さんが苦悩から抜け出すことを目指した治療を提供するためです。

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