中学の修学旅行の夜。同室の友人が荷物の片づけに手間取り、就寝時刻に間に合いそうにありませんでした。そこへ教諭がやってきて、「罰として部屋の前で正座させる」という話に。私はその光景に違和感を覚え、「善悪の価値判断」として理不尽だと感じました。友人はただ遅れただけで悪意はなく、さらに罰によって就寝が遅くなることも納得できませんでした。
思わず抗議した私に対して、教諭がどう受け止めたのかはわかりませんが、結局おとがめはありませんでした。後で友人に「そこまでしなくてもよかったのに」と言われ、少し恥ずかしくもなりました。
振り返ると、あの時は若さゆえの突っ走りだったと思います。教諭や友人それぞれが持つ善悪の価値観があり、それを越えてまで私が自身の価値判断を押し通すべきではなかったのかもしれません。精神科医として働く今も、たまに似たような行動をしそうになることがありますが、中学時代のこの記憶がふとよみがえるたびに、反省します。「私自身は私の思う『悪』から距離を取ります、ただし私の善悪の判断を他者や社会に求めることはしません」と。
コメント