「正解」と「多様性」:国語の授業から考える相互理解のあり方

コミュニケーション

ある患者さんが、小学校時代の国語の授業について話してくれました。そのかたは「作者は何を言いたかったのでしょうか?」という質問にどうも納得がいかなかったそうです。「作者に聞かないと分からない」と感じて、一つの正解に絞られることがしっくりこなかったと話していました。

このエピソードを聞いて、私は少し考えさせられました。確かに、一つの模範解答を押し付けられるのには抵抗を覚えるかもしれません。しかし、国語の授業で共通の解釈法を学ぶことは、日常の会話や文章を通して相互理解を図る上での「共通の言語」を築くための一環ともいえます。だからこそ模範解答が用意されているのかもしれません。それでも、少数派の解釈が間違いだとは決して言えない。むしろ、多様な考え方を尊重しつつ、それを学び合うことが大切なのではないでしょうか。

「多様性」という言葉が頻繁に使われるようになった今でも、必ずしも少数派が優先されるわけではありません。例えば、通勤時間帯には電車の本数が増え便利ですが、深夜に働く人が同じような利便性を得られるわけではない。そうした現実があるからこそ、多数派の中に埋もれがちな少数派にも目を向ける視点が求められるのです。国語の授業の模範解答を例にとっても、多数派の解釈に沿いつつも、その枠にとらわれない異なる視点を無視しないことが、相互理解を豊かにする鍵になるのかもしれません。

国語の授業を振り返りながら、ふとそんなことを考えました。

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