ある患者さんとは、時折「自由意志」について話題になります。その方は、高齢者が困っている場面で助けた際、自分の行動が道徳的な教育や遺伝的な要因で決定されたものであり、自由な選択ではないと感じたそうです。そのため、自分の行動が何かに縛られているように感じ、心地よくないとおっしゃっていました。
一方で、その方は家庭の事情により、親に車で送迎してもらっていたのをやめ、自分で電車と徒歩で通院することになりました。その変化について、「移動が楽しいと感じた」とおっしゃったのです。
この対話から、私は次のような考えを抱きました。たしかに、電車で通院するという選択は、外的な状況や環境によって決められたかもしれません。しかし、実際に歩き始めてからの一歩一歩の感覚や、風を感じながら外を進む瞬間の体験は、あらかじめ決められたものではありません。私たちは、その瞬間瞬間の身体的な感覚に応じて行動しているのです。
こうした瞬間の感覚に気づき、それを大切にすることが、自由意志を感じるための手がかりになるのではないでしょうか。自分で選べないと思っていた状況であっても、体が感じるその瞬間瞬間の感覚こそが、私たちが「今ここ」で生きている実感をもたらしてくれるのだと思います。
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