世の中には、一見すると矛盾しているように見えて、実は深い真理を含んでいる現象があります。
いわゆる「パラドックス(逆説)」です。
入院森田療法の「絶対臥褥」も、その代表例でしょう。
患者は動くことを禁じられ、ただ横になって過ごします。
一見、非生産的で無意味なように思えますが、実際にはこの“動けない状態”の中で、身体の奥底から「動きたい」という自然な活動欲が湧き上がってくる。
動かないことによって「動きたい心」が甦る――ここにパラドックスの力が働いています。
こうした逆説的な転換は、学問や人生の歩みの中にも見られます。
たとえば、論理を徹底的に追求した哲学者が、最後には「理屈を超えた直感の重要さ」に気づく。
利益を追い求めた経営者が、晩年には「お金より大切なものがある」と語る。
これは単なる気まぐれではなく、ある方向に極限まで突き詰めたからこそ見える“反対側の世界”です。
私自身も、同じような道を歩んできました。
かつて私は、うつ病を客観的に診断できる方法を見つけたいと願い、脳科学の研究に没頭しました。
しかし、突き詰めていくほどに、「精神は脳の研究だけでは明らかにできない」という現実に行き当たりました。
そこから、家族システムや社会システムという“つながり”の中で心を見る方向へと転じました。
そして最終的に、「心のあり方は自ら決まるもの」という結論に至りました。
それは、個人の意志によって決まるという意味でもあり、自然に任せるという意味でもあります。
この両義的な理解に至るまでには、長い時間と試行錯誤が必要でしたが、振り返れば、どれも必要な“通過点”だったのだと思います。
パラドックスは、単なる言葉の遊びや理屈上の逆説ではありません。
それは、実際に生きる中で体験される、変化の法則のようなものです。
ある方向に徹底して進むことで、いつの間にかその裏側にたどり着く――。
その過程を通して、人は初めて「自然の理(ことわり)」に触れるのだと思います。
森田療法で言えば、「症状を手放そう」とするのではなく、一度その症状の中にどっぷり浸かってみる。
逃げずに、ありのままを受け入れて生きてみる。
その結果として、いつの間にか症状が力を失っていく。
ここにも、パラドックスの力が働いています。
人生の変化や回復は、まっすぐには進まないものです。
むしろ、遠回りや行き詰まりの中にこそ、次の扉が隠されています。
「逆説」は、自然が私たちに教えてくれる変化の法則なのかもしれません。
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