あの受験勉強は、失敗だったのだろうか

日常

受験の季節に思い出す、自分の大学受験

今年も、若者たちの受験の季節がやってきました。

この時期になると、ふと自分の大学受験のことを思い出します。

医学部受験は理系に分類され、数学、英語、理科(物理・化学)が中心でした。加えて、当時のセンター試験(今の共通テストに相当)では、国語と社会(私は地理)にも備える必要がありました。

制限されるのは嫌い、それでも楽しかった受験勉強

当時の私は、他人に自分の行動を制限されることをとても嫌っていました。思春期の多くの若者がそうであるように。しかし不思議なことに、受験勉強そのものは、かなり楽しんでいた記憶があります。

問題集や参考書を探しに本屋へ行き、何時間もかけて選び、購入する。その時間自体が楽しかった。もちろん本屋に行けば、他のコーナーにも立ち寄り、立ち読み三昧です。

自分向けにアレンジされた学習スタイル

学習方法も、いわゆる「王道」ではありませんでした。一つの科目を長時間続けることがどうにも性に合わず、30〜45分おきに課題を切り替えるスタイルを取っていました。

さらに、一般向けの専門書や英文雑誌を読む、地図帳や便覧を眺める、ラジオ英会話を聴く、「世界ふしぎ発見!」や旅番組を観る──そうした一見すると遠回りに見えることも、すべて「受験勉強」としてカウントしていました。

試験はレース、準備はトレーニング

今振り返れば、受験という明確な目的に対して、決して効率の良い方法ではなかったと思います。それでも私は、「いかに受験勉強を自分向けにアレンジするか」を探求することに、面白さを感じていました。

高校の定期試験や模擬試験には、今の私がトレイルランニングのレースに出走するときに感じるような、独特のワクワク感がありました。その準備は、ランニングギアを選び、トレーニング方法を工夫することに、どこか似ていたように思います。

第一志望不合格という結果

では、その結果はどうだったか。

第一志望には、不合格でした。

第一志望合格を目的に据えるなら、明らかに足りなかった点があります。

反省点① 数学:面白さを優先しすぎた

一つは数学です。

数学の問題には、基礎から応用・発展までさまざまなレベルがあります。私は「面白さ」を基準に問題集を選び、応用・発展問題をじっくり考え尽くす時間を楽しんでいました。しかし、時間制限のある大学入試に向けた準備としては、効率的とは言えません。基礎問題で解法パターンを徹底的に定着させる時間を、もっと確保すべきだったのでしょう。

反省点② 英作文:通じればよい、ではなかった

もう一つは英作文です。

入試の英作文では、会話のように意味が通じればよいわけではなく、問題作成者が求める構文を用いる必要があります。私はそれをどうしても受け入れられず、「通じればいいはずだ」と主張し続け、減点されても反省しませんでした。

それでも、この学習法は失敗だったのか

今になってみれば、反省点はいくらでも挙げられます。

では、この学習法は失敗だったのでしょうか。

私は、そうは思っていません。

結果が違っても、人生は同じように続いていた

今でも私は学ぶことが好きですし、群馬の土地に住み、山を走る生活を心から楽しんでいます。

入試の結果がどうであれ、その後の30年の人生は、きっと同じように悩み、同じように苦しみながら生きていたでしょう。

選択すること自体が、人生だった

選択した結果そのものは、実はそれほど変わらない。

あのとき、あの学習法を選び、その後も自分なりの選択を繰り返してきた。その「選択する」という行為そのものが、私の人生だったのだと思います。

受験勉強を振り返りながら、改めて自分のあり方を見つめ直す機会になりました。

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