私たちは日々、「目の前の現実とどう向き合うか」という課題を抱えています。
この現実に真っすぐ向き合う姿勢を最も突き詰めてきたのは、自然科学と言えるでしょう。
自然界の法則を明らかにし、その仕組みを丁寧に解き明かす努力は、人類の知の柱でもあります。
しかし、自然科学の成果を「自然に抗うための技術」に使い過ぎてしまった歴史もあります。
その結果として生まれたものの代表が、核兵器であり、地球規模の環境汚染です。
本来、自然を理解するための学問が、いつしか自然を押し返すための道具になってしまう。
そこに人間の苦しみが増す側面があります。
一方で、宗教という営みは、大きな存在に身をゆだねることで、私たちの暴走にブレーキをかけてきました。
「人の力には限りがある」という感覚は、過度な反自然的な活動を抑え、心を整える働きも持っています。
ただし、歴史を振り返ると、宗教が科学を弾圧してしまった例もあります。
人体解剖を禁止したり、地動説の発表を妨げたりと、現実を見ようとする努力さえ阻んだ面もあったのです。
つまり、
科学が現実を理解する道だとすれば、宗教は人間の心を落ち着ける道。
どちらも必要であり、どちらも行き過ぎると、自然から離れてしまう。
自然科学を大事にしながらも、それを“自然への挑戦”に使い過ぎないこと。
宗教的な癒しを大切にしながらも、それが“現実から目をそらす理由”になり過ぎないこと。
このバランスこそが、私たちが自然と折り合いながら生きるために必要なのだと思います。

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