支えるつもりが追い詰めてしまうとき

コミュニケーション

「そんなに遅くまで寝ていて、遅刻しないの?」

「宿題は終わったの?」

「食べ過ぎじゃない?」

「お酒を飲みすぎじゃない?」

「働きすぎじゃない?」

——こうした声かけを、家族や友人にすることは誰にでもあると思います。大切な人を心配する気持ちから出た言葉でしょう。

しかし、相手自身がすでに「自分の行動に問題がある」とわかっている場合、これらの言葉は逆効果になることがあります。

心配されると「自己調整力」が弱まる

人は、自分の行動が行きすぎていると気づいたとき、どこかで「そろそろやめよう」とブレーキをかける力が働きます。

けれども周囲から「心配の言葉」が繰り返されると、かえって「誰かが見てくれているから大丈夫」という感覚が芽生え、自分でコントロールしようとする力が弱まってしまうのです。その結果、問題の行動がさらに進んでしまうことがあります。

効果的なのは「突き放す」のではなく「委ねる」こと

もし本当に気になるときには、ただ心配を口にするのではなく、少し距離をとった表現が有効です。

「続けていると、体調を崩す人も多いみたいだね」

「そのままだと、後で大変になるかもしれないね」

——このように、あえて“他人事”のニュアンスを残しながら冷静に伝えることで、相手自身が自分の行動を見直す余地が生まれます。

ちょっとしたジョークですが、働きすぎの夫に「働きすぎだから休みなさい」と言うより、

「いっぱい働いて、たくさん遺産を残してね」と伝えた方が、かえって本人が働きすぎに気をつけるかもしれません。

もちろん冗談ですが、それくらい“自分で気づく”きっかけの方が効果的だという例えです。

医師としての経験から

私自身、患者さんの不摂生について「心配してあげる」姿勢は、むしろデメリットの方が多いと感じています。医学的な知識をお伝えした上で、「どう行動するかはあなた次第です」というスタンスを保つことの方が、患者さんが主体的に変わる力を引き出してくれるのです。

大切な人を心配する気持ちは自然なものです。

けれども「心配してあげる」という言葉の裏には、知らず知らずのうちに相手を追い込んでしまう危険があります。

相手の問題を“背負い込む”のではなく、“委ねる”。その関わり方が、相手の変化を支える大切な一歩になるのです。

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