本当に助けてる?支援の名のもとに奪っているもの

人間・社会

「この子のために」「生徒のために」「患者さんのために」――

そう思って関わった言葉や行動が、実はその人の自然な成長や回復の力を奪ってしまっていることがあるとしたら、どう感じるでしょうか。

親、教師、医師など、人を支える立場にある私たちは、良かれと思って関わることが多いものです。でも、その「支援」が、知らず知らずのうちに相手の内にある力を妨げていることがあるのです。

「教える側」が忘れがちな大切な視点

親や学校の先生、医師といった「人を育てる・助ける立場」にある人は、「関われば関わるほど、相手は良くなる」と信じていることが多いように思います。

教えることで成長を促し、支えることで回復を早める。そう信じる気持ちは自然なものですし、実際に有益な面もたくさんあるでしょう。

でも、本当にそれだけで良いのでしょうか?

実は、その「善意の関わり」が、相手の中に芽生えつつあった自然な成長の力を妨げていることが少なくありません。

たとえば――

  • 新しい遊びを創り出そうとしていた子どもに、ルールを押し付けて修正してしまう。
  • 興味をもって自分で調べようとする生徒に、「授業に合わせて」と動きを止めてしまう。
  • 自らの免疫力で回復しつつある患者に、必要以上の薬を投与してしまう。

こうした関わりは、結果として相手の「内発的な力」や「自然な適応・回復の力」を妨げることになります。

もちろん、すべての親、教員、医師が「妨げているだけ」と言いたいわけではありません。むしろ、役に立つ関わりも数多くあるでしょう。ただ、良かれと思った関わりのなかにも「邪魔になってしまう側面」があるということを、私たちは忘れてはいけないのです。

「私のおかげで」は、本当にそうか?

人の成長や回復には、その人自身の力が必ず働いています。

その自然な力の流れを支えることができたとすれば、それは関わる側の喜びですが、「自分のおかげで成長した」「自分が治した」と思い込んでしまうのは、傲慢なのかもしれません。

だからこそ、関わる側に必要なのは「教え、支えること」だけでなく、「『余計な手出しをしない勇気』と『自分の影響力を過信しない謙虚さ』」ではないでしょうか。

子どもも、生徒も、患者も、自ら成長・回復する力を持っている。

私たちは、つい「何かしてあげなきゃ」と思いがちです。

でも実は、静かに見守ることが、最も大きな支援になることもあるのです。

関わる立場にある私たちこそ、「自分の関わりが相手の自然な力を妨げていないか?」と、自省する習慣を持ち続けたいと思います。

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