神経症の苦悩と、薬を使わない治療の価値

仁泉堂医院

神経症に悩む人に対して、「そんなことで悩まなくてよいのに」という言葉は、最も避けるべきものです。その苦しみは、経験のない人にはなかなか理解しにくいものですが、私は患者さんとの対話の中で、次のようなたとえ話をしました。

「防護服を着たままの登山」

ある人が山に登ろうとしています。しかし、足がきちんと地面についているかどうかが気になり、ずっと足元だけを見て歩いています。さらに、寒さや虫が怖くて、重い防護服に身を包んでいます。

不安でいっぱいのため、防護服を脱ぐことも、足元から目を離すこともできません。

このままでは、登山の楽しみを味わうことはできません。景色を楽しむことも、風や陽の光を感じることもなく、ひたすら足元を気にしながら登る――。これが、神経症の苦しみの一つの姿です。

もし山に登った経験がある方は、一度、防護服を着て足元だけを見つめながら登ることを想像してみてください。どれほど窮屈で、どれほど疲れる登山になるでしょうか。

そして、その方法で登っている限り、仮に薬で一時的に不安を和らげたとしても、本当の意味で楽になることはありません。

「防護服を脱ぎ、風を感じる」

登山の楽しさを取り戻すには、防護服を脱ぎ、空を見上げ、風の心地よさや木々の美しさを感じることが必要です。初めは怖いかもしれませんが、少しずつ視線を上げ、自然を感じる経験を重ねることで、登山は不安の中でも「楽しめるもの」へと変わっていきます。

この「防護服を脱ぎ、視線を上げる勇気を持つための治療」が、精神療法なのです。

特に、外来森田療法では、体験と対話を通じて行動の変化を促していきます。「不安をなくす」のではなく、「不安があっても、そのまま進む力をつける」ことが目的です。

「防護服を着たまま生きていませんか?」

神経症に限らず、気づかないうちに「防護服を着て足元ばかり見つめながら生きている人」は意外に多いものです。

不安を感じるたびに薬に頼ることは、たしかに一時的な安心感をもたらします。しかし、それだけでは「視線を上げる」経験にはなりません。

私は、治療とは「薬で不安を和らげること」ではなく、「現実を肌で感じながら、広い世界を見渡しながら生きること」への変化を手助けすることだと考えています。

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