先日、ある卒業式に出席する機会がありました。その中での式辞で、「心の持ち方で人生は変わる」という言葉が引用されていました。
この言葉、一見すると前向きで励まされるように感じるかもしれません。しかし、森田療法的な視点から見ると、少し危うい側面があるように思います。それは、まるで「心の持ち方」を自分の意志でコントロールできるかのように聞こえてしまうからです。
私たちが選べるのは「心の持ち方」ではなく「行動」
実際のところ、私たちは「心の持ち方」全般を自由に操ることはできません。不安や焦り、悲しみや苛立ちといった感情は、意識的にどうこうしようと思っても、思い通りにはならないものです。しかし、そんな中でも私たちにできることが一つあります。それは、「次に何をするか」という行動の選択です。
否定的な感情や不快感を抱えているからといって、それだけで人生が否定的なものになるわけではありません。むしろ、そうした感情を無理に変えようとすると、かえってそれにとらわれ、苦しみを深めてしまうことが多いのです。
だからこそ、大切なのは「感情を変えようとしないこと」。そのうえで、自分が選択できる行動を見つけ、それを選び続けることが、結果として人生を豊かにしていくのではないでしょうか。
卒業生への想い
式辞を聴きながら、私は心の中で卒業生たちにこう願いました。
「この先、否定的な感情や不快な気分に包まれることがあったとしても、それをコントロールしようとせずに、自分が選べる行動を見つけ、必ず選び取っていってほしい」
心はコントロールできなくても、行動は選ぶことができる。そうした積み重ねが、いつか振り返ったときに、自分らしい充実した人生を形作っているはずです。
コメント
こんばんは、コメントさせていただきます。
私は双極性障害の為、今は他院で薬を服用しながら治療をしていますが、鬱期が到来し、悩んでいました。
そんなところに、抜群のタイミングで先生の記事を読みました。
薬のおかげで、極端な波は無くなりましたが、今度はゆっくりと首を絞められるように鬱に落ちていくのがわかります。できていたのにできない。やっとできたのに。記憶力も低下し、不安混乱絶望に悩んでいました。
感情ばかりに気を取られ、どうにかしようとしていました。けれども、それもできない。どんどん自己否定をし、悲観的になっていました。
そんな中でも、今日は少し負荷の高い運動ができました。それが良いことかは別として、自分の観察もしている今ではやってみて反応を見る必要があると考えています。
この運動は私にとって、疲れるし苦しいのでエネルギーが入りますが、身体に良いのはわかっていました。
とても億劫な中、それでも行動し、結果汗をかいて最後までできました。
けれど達成感はありませんでした。絶望感も、かわりません。こんな事に何の意味があるんだろうとさえ思いました。
だけどそれでもいいのかもしれないと思えました。
やったけど、鬱が変わらない、気持ちも変わらない。
運動すれば全てが好転するような、そんな対処法ばかりを目にするように思い、それが正しいと思っていました。
運動しても悲しくて絶望したままだっていい、というのは思い込みから、狭まった視野を広げてくれる、大切な気づきだと思いました。
ありがとうございます。
絶望感が続く中でも、運動という行動を選び、実際にやってみたこと。そして、その結果として気分が変わらなかったとしても、「それでもいいのかもしれない」と受け止められたこと——これらはとても大切な体験だと思います。
「運動すれば気分が良くなる」という期待が満たされないと、意味がないように感じてしまうかもしれません。でも、行動の価値は気分の変化だけで決まるものではありません。むしろ、気分がどうであれ、いま選択できる行動を積み重ねていくことが、長い目で見て健康につながっていくのだと思います。
コメントを拝見し、改めて「感情を変えようとするのではなく、行動を選び続けることの大切さ」を感じました。貴重な体験を共有してくださり、ありがとうございます。