私は医学部入学を機に群馬県に移り住みました。当初、車の運転に関心はありませんでしたが、大学の部活の先輩から「群馬は車なしでは生きられないよ」と言われ、「確かに電車やバスの本数は少ないし、車は必要かもしれない」と感じ、教習所に通うことにしました。その後、医師として勤務する中で、遠方の病院への非常勤勤務や緊急の呼び出しに対応する際など、車が役立つ場面は多々ありました。
しかし、振り返ると、「車なしでは生きられない」という言葉に縛られてきた部分もあると感じます。この言葉に従い、自家用車に頼る生活を続けてきた結果、公共交通機関の利用機会は減り、その衰退を助長してしまったのではないかと考えます。また、車中心の生活は自然な歩行の機会を奪い、健康面や地域全体の利便性にも影響を及ぼしています。特に運転が難しい子どもや高齢者にとって、車依存の文化はむしろ不便を生む可能性があります。
確かに、今の群馬の生活では車があると非常に便利です。しかし、私は最近、「車なしでは生きられない」という思い込みこそが一種の呪縛であり、それを手放すことが必要だと感じるようになりました。言葉に縛られることは、知らず知らずのうちに自分の選択肢を狭めてしまうのです。
車がなくても生活しやすい地域、つまり公共交通機関が充実し、子どもや高齢者にも優しい地域になれば良いなと願っています。便利さに頼ることによって、それに縛られないように気をつける必要があると思います。私たちが選び取る言葉や価値観は、地域の未来をも形作るのではないでしょうか。
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