感情を放っておくという選択

森田療法

感情という如何ともしがたいもの

怒りや恨みといった感情は、理性や論理で簡単に解決できるものではありません。たとえば、損害賠償訴訟で金銭的な解決が図られたとしても、それによって怒りや恨みそのものが消えるわけではないことが多いように感じます。

歴史を振り返っても、戦争で日本の占領下にあった国々の中には、世代を超えてなお日本という国に恨みを抱き続けているところがあります。このように感情は、時間や合理的な解決策だけでは解消されない、深い根を持つものです。

感情が医療の場に持ち込まれるとき

精神科の診療現場では、否定的な感情を抱えて来院される方がしばしば見受けられます。そのような患者さんが、意識的または無意識的にその感情を医療スタッフにぶつけてくることもあります。私自身もかつて、そうした理不尽さに苦しむことがありました。しかし、振り返れば、感情というものは人間がどうしようもできないものだと改めて思います。

ただ、感情というのは不思議なもので、ふとした瞬間や何気ない出来事をきっかけに、その囚われから解放されることがあります。そしてそのとき、「あんなことで悩んでいた自分がばかばかしい」と感じるものです。

感情をどう扱うべきか

「感情を制御できない」という悩みを抱える方は少なくありません。確かに、精神科受診がその助けになる場合もありますが、必ずしも有益とは限りません。感情を抑え込むために向精神薬を服用すると、一見落ち着いているように見えることもありますが、その代わりに眠気や倦怠感といった副作用に苦しむ場合も少なくありません。

むしろ、ランニングをしたり、旅に出たり、動物や植物と触れ合うほうが感情を整えるには有効かもしれません。これらの行為は、感情を直接変えるものではありませんが、自然に感情との付き合い方を変えるきっかけを与えてくれることがあります。

放っておくという選択

結局のところ、感情は如何ともしがたいものだと私は考えています。怒りや恨みが湧いてきたとしても、それを無理に解消しようとするのではなく、ただ放っておく。時間の流れや日常の中で、感情が自然と姿を変えていくのを待つ。それが最善の方法ではないかと思うのです。

感情にとらわれることもまた人間らしさの一部ですが、そこから解放される瞬間もまた、ふと訪れるものです。焦らず、その時を待ってみるのも一つの選択かもしれません。

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